志ん輔は、戦う落語家である。
寄席の客席がどよんと重く、前の出番の演者たちが「何をやってもダメ。爆笑ネタをぶつけても蹴られちゃう」とお手上げの時も、逃げずに勝負して勝ったり負けたり・・・。
ただし、志ん輔はむやみやたらに戦っているわけではない。戦うからには勝たねばならない。できれば常勝でありたい。そのためには戦術も戦略も必要になってくる。
だから志ん輔のいつもテーマを持って高座に上がっており、彼が演じるネタには必ず何らかの「演じる理由」があるのだ。
しばらく前に、「文七元結」「幾代餅」「子別れ」など、人情がかった噺ばかりが目立つ年があった。
「ちゃんとデッサンをして、細かいところまで書き込んで、お客様に伝えていきたいんです。人情噺って、元々構成がきちんとしているから、そういう作業がやりやすい。ただ、その反面、噺家が勘違いをしやすいんですよ。『ああ、これで出来た』と思っちゃうの」
そうした反省の意味もこめて、その翌年は「笑いの多い噺」をすすんで高座にかけていた。
「人情噺でも、爆笑ネタにしてやろう!」
力余って、時には空回りすることもあるが、志ん輔のやる気はきちんと客席に伝わってくる。意欲にあふれた高座は、見ていて気持ちが良いのである。
戦う噺家・志ん輔の最大の敵とは誰か。
それは、故・古今亭志ん朝に違いない。志ん輔は、「僕は志ん朝になりたい」とまであこがれて、芸や行動や趣味嗜好まで追いかけた。それでも背中にすら手が届かない。なにより悔しいのは、どんなに頑張っても志ん朝の「かっこよさ」にはかなわないことだ。
志ん朝が亡くなってから十数年が過ぎ、かつては門外不出だった一門の芸を、古今亭以外の噺家が手がけることも多くなった。これが志ん輔の負けじ魂に火を付けた。
「みんな頑張ってるんだなあと思います。いいものはほめてあげたい。でもね、こっちだって、やられっぱなしじゃ面白くない。志ん朝の噺はこうやるんだ、これが正解なんだってのを、及ばずながらやってみせるのが一門の使命じゃないかと考えちゃうんですよ」
ただ、このやりかたを突き詰めていくと、志ん輔は師匠・志ん朝の主要演目すべてを演じなければならないことになるーー。どうやら志ん輔は本気でそう考えているらしい。ステキな心意気ではないか。「志ん朝ネタ制覇への道」は遠いのか近いのか、それがわかるのは、志ん輔のような「本気の挑戦者」だけだろう。頑張れ!