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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセイコンテスト

エッセー部門

第2回入賞作品 −一般の部 入選

「温かな赤ちゃん」

宮原 玲子(61)鳥取県

 ナースとして34年間、その後半の18年を手術室で働きました。10年前のある帝王切開手術のことは、今も忘れることが出来ません。

 夜中まで手術が立て込んで、手術室の片付けや手術器具の後始末がやっと終わりかけた頃、遠くの方からだんだん近づいて来る救急車の音がしました。1階の救急室に止まった途端、
「サイレンの音を聞くと、いつも緊急手術になったらどうしようと、ビクビクしてしまうわ」

 一緒に夜勤をしている新人ナースは、ユニフォームの胸もとに手を当てながら顔をゆがませました。

「就職してから半年もたつのに、救急車の音くらいでまだビビってるのん」

 私は笑いとばしました。

 片付けが終わり、空が白みかけた頃の出来事でした。手術室の入口をドンドンドンと、力任せにたたく音がしました。

「緊急帝王切開の手術だ! 全ての責任は僕がとる。早く準備してくれ」

 産科のドクターの声に、私はあわてて飛び出しました。

「急いで手術の準備をして!」

 相棒のナースに大声で叫びました。そして救急車の寝台に横たわり、宙を見つめたままの患者さんに、
「大変でしたね。ドキドキするようでしたら、目を閉じていらしてもいいですよ。ずーっと、おそばにおりますから、何でもおっしゃってくださいね」

 努力して落ち着いた声をかけました。

 1秒でも早く赤ちゃんを出して、人工呼吸を始めなければならない状態でした。全身麻酔がかかると、産科のドクターはみごとな手さばきで赤ちゃんを素早く取り上げました。けれども全身の皮膚は黒紫の色をしており、小児科のドクターが受け取るときの赤ちゃんの頭や手足は垂れ下がっていました。

 手術介助していた私は、血液を肺に吸い込まないように、準備していたガーゼで口や鼻の周囲についた血液をぬぐいました。

 しかし赤ちゃんは産声を上げることができず、小児科の二人の当直医により懸命な蘇生が始められました。

 赤ちゃんが出たあとの子宮からは、泉が湧き出るような勢いで血液が噴き出てきます。私はなるべく早く止血用の手術器具をドクターに手渡しました。

 止血できた子宮を縫合し、腹壁を閉じている間も、赤ちゃんの心臓や肺の機能を測る器械からは警告のアラームが鳴り続けていました。

 最後まで、赤ちゃんは産声を上げることができませんでした。

 手術が終わる頃、小児科、麻酔科、産科のドクターが相談し、赤ちゃんの救命処置は中止されました。

 手術介助が終わった後、手術器具をそのままにして、私は赤ちゃんのそばに行きました。そして赤ちゃんの柔らかな顔や手をきれいに拭きました。

 新しいシーツでくるんだ赤ちゃんは、抱きかかえるとずっしり重く、よく眠っているように見えました。さっきまでお母さんのおなかの中で守られていたおかげなのか、抱っこした手には温かさが伝わってくるようでした。

 手術を終えた産科のドクターが、
「今からお父さんと面会だからね。赤ちゃんをきれいにしてくれてありがとう」

 大事そうに赤ちゃんを抱きかかえて帰っていきました。

 麻酔から覚めたお母さんは、一言もしゃべりませんでした。病棟のナースと一緒に迎えにきたお父さんの目は赤く充血していました。

 二人が目と目を合わせた途端、お母さんは声を上げて泣きました。かがんだお父さんはベッドに寝たままのお母さんの背中を抱いて、
「よくがんばってくれたね」

 その頰にも涙が流れ落ちました。

 私はくちびるをかみ締めました。相棒のナースの目も光っていました。

 手術室出口の外廊下まで患者さんを見送り、最後に深く黙礼して顔を上げると、土曜日の静かな朝は明けていました。

 数え切れないほど、緊急の帝王切開手術を経験しました。この一件以外の赤ちゃんは、命をつないで新生児室に帰っていきました。

 早期退職して6年になりますが、救急車の音を聞くたびに、命が守られるように祈らずにはいられません。

(敬称略・年齢、学年などは2019年2月16日時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

過去の作品
  1. 2018年 第1回

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