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思い出の展覧会
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ケーテ・コルヴィッツ展
佐々木奈美子 久留米市美術館(元・新潟県立近代美術館 学芸員)
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ケーテ・コルヴィッツ展 図録

 2004年10月23日、新潟県中越地方で大きな地震があった。長岡市の最大震度は6弱。内陸直下型で、震度5レベルの余震が続いた。美術館は、幸いなことに閉館後で来館者はいなかった。ライフラインは無事で、館内点検と各種対応の時期の後は、近隣他館資料の一時保管に協力した。

 個人の事情だが、当時2歳の子供がいて、保育園が閉まると出勤さえままならない状況。非常時の対応に力を尽くす同僚達に申し訳なく、やるせなかった。翌年には、読売新聞社と国内5会場で主催・巡回する「ケーテ・コルヴィッツ展」が控えていて、海外からの借用に支障が出ないか心配だったが、そのように思うことにも何か後ろめたさがあったのを覚えている。

 この2005年の「コルヴィッツ展」では、「日本におけるドイツ年」の一環としてifaドイツ対外文化交流研究所とベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館、さらに国内からの版画・素描・彫刻約160点を借用する予定だった。没後60年の回顧展であり、社会的な面が強調されがちなコルヴィッツの優れた造形性を示す機会としたいと考えていた。しかし、地震後に心底伝えたいと思ったのは、両世界大戦下の困難な状況にも芸術家として、人として強靭な魅力を放つ彼女の力強さであった。新潟展のサブタイトルは「未来の種たちへ」とし、オープニングでの児童合唱団を皮切りに、市民が参加できるイベントを多く行った。コルヴィッツに寄せる朗読劇や、映像の上映、そして、来館者に被災体験を寄せてもらうコーナーを設けて、文章を募った。

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コルヴィッツ《母と二人の子》1932-36年
展覧会場風景(新潟県立近代美術館)

 予想以上の反応があり、本震が来た時にどのような状況だったか、自分、家族、見上げた夜の月など、一人ひとりの「あの時」が寄せられた。忘れられないのは、「余震が続く中で、美術館の子供を抱いたコルヴィッツの彫刻を思い出しました。自分も子供が二人いるので」という女性の言葉。あの夜私も、繰り返す余震の中で、携帯のバイブレーションのようにブルブルと震える子供を抱えながら、何度もコルヴィッツの像を思い浮かべていた。同じ時に、同じ作品に励まされた人がいたことに、冷えた体の芯が温められるのを感じ、美術館の、そして学芸員という仕事の意味が少しだけ見えた気がした。

 夏のフェニックス花火と、この「コルヴィッツ展」を見届けて、その年度末に退職した。2006年4月には、約半年前に姫路市立美術館に送り出した展覧会を、町田市立国際版画美術館で市民として迎えることになる。それから干支が一巡する間にも、さらに信じがたい出来事が各地で起こった。美術館に何かできるのか。アラフィフで木版画や木彫へと展開したコルヴィッツに倣い、規模や母体の異なる幾つかの館でお世話になりながら、今も考え続けている。

会期会場:2005年9 月3日(土)〜 10月23日(日) 新潟県立近代美術館
本展は、茨城県つくば美術館、姫路市立美術館、熊本県立美術館、町田市立国際版画美術館を巡回

美連協ニュース139号(2018年8月号)より転載(※役職は掲載時)



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