パルマ イタリア美術、もう一つの都 2007.5.29〜8.26 国立西洋美術館にて開催

5つの都パルマ

  • 食の都パルマ
  • 写真協力:イタリア貿易振興会

    ミラノを中心地としたロンバルディア地方とボローニャを中心としたエミリア地方との境目に位置するパルマは、肥沃なポー川流域の平野部に囲まれて、古くから交通の要所として栄える一方、山間部で産出される岩塩とジェノヴァやヴェネツィア方面から運ばれてくる胡椒を使ったプロシュット(生ハム)やサラミ、コテキーノなどの豚肉加工品で世界的に有名です。さらにもうひとつ有名なのは、もちろんパルミジャーノ・レッジャーノ(パルメザンチーズ)。このチーズは単にそのまま食べたり、細かく削ってパスタにかけて食べるだけではありません。この地方の食文化においては和食にとっての「ダシ」と同じくらい基本的な調味料となっています。

  • 文学の都パルマ
  • パルマの名前を一躍世に広めたのは、あの有名なスタンダールの名作《パルムの僧院》です。フランス語のタイトルを翻訳したため「パルム」となっていますが,元のタイトルはイタリア語でいうと「パルマのチェルトーザ」(チェルトーザとはカルトジオ会修道院のこと)です。イタリアに魅了されたフランス人の憧憬に満ちた描写は,名優ジェラール・フィリップ主演の映画で見事に再現されています。ご年配の方は小説のイメージよりも,1947年のあの白黒映画の印象の方が強いかもしれません。ジェラール・フィリップ扮する青年ファブリス・デル・ドンゴ(ファブリツィオ)、サンセヴェリーナ公爵夫人ジーナ、そして彼らを巡るさまざまな恋物語。
    映画が撮影されたのはパルマではありませんが、スタンダールの行間や映画のシーンから想像されるあの時代のパルマは、現在でも残るパルマのチェルトーザに行くと、不思議と脳裏に鮮やかに蘇ってきます。

  • 音楽の都パルマ
  • ©Bob Sacha 2001

    イタリアが王国として統一された1860年代後半に、パルマは王立劇場とジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)の時代を迎えます。ヴェルディの人生はイタリア統一運動と、イタリア王国の歴史と密接に結びついていました。現在のイタリア国旗の三色旗も、そもそもこの地域の統一運動の中から生まれたものです。特に、ユダヤ人のバビロン捕囚時代を題材とした歌劇《ナブッコ》の第三幕、奴隷とされていたユダヤ人が祖国を思って歌う《黄金の翼に乗って想いは翔る》は、オーストリア占領時代のミラノ(1815-1848)にあって、まさに解放独立の象徴となり、今でも「第2の国歌」として国民に愛されています。2007年に没後50年を迎える指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)もパルマの出身です。音楽を通して彼が持ち続けた自由と人間の尊厳を尊ぶ信念は、まさにヴェルディと同様、パルマと近代イタリアの歴史が育んだものであると同時に、その心はパルマの人々の精神的な支えとなっています。

  • 建築の都パルマ
  • 町の中心に独特の威容を放つピロッタ宮殿は、16世紀末から17世紀にかけてファルネーゼ家の文化、政治の拠点として、絵画館と図書館、そして事務室や警備隊厩舎などが集中的に配備されていました。17世紀には、荘厳なファルネーゼ劇場がピロッタ宮殿内に建設されました。この木造劇場はパッラーディオが設計したヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコと並んで、木造劇場の傑作といわれています。18世紀には既に使われなくなって荒廃していましたが、その後1944年、第2次世界大戦末期に爆撃を受け、ほとんどが灰燼に帰してしまいました。しかし、1950年代になって当時と同じ素材を用いた復元作業の結果、現在の姿を取り戻しています。
    その他パルマにはたくさんの聖堂、修道院があります。小さい町ながら聖堂の多さに驚かされます。16世紀までの宗教的な環境とファルネーゼ宮廷の繁栄。この聖俗入り交じった文化的環境が、美術や音楽のみならず、現在の都市の姿を造り上げてきたのです。

  • スポーツの都パルマ
  • 撮影:六川則夫

    パルマにクラブチームが誕生するのは1913年のこと。パルマ近郊に生まれた世界的音楽家ジュゼッペ・ヴェルディにちなんで「ヴェルディ・フットボール・クラブ」と名づけられました。1927年には現在のようなイタリア国内リーグがスタートします。
    パルマは1990年に念願のセリエA昇格を果たします。以後、何度となくセリエAの優勝争いに絡み、国内および国際タイトルを獲得するほどの強豪クラブとなります。昨年のドイツワールドカップを制したイタリア代表主将ファビオ・カンナバロ(レアル・マドリード)、同じくイタリア代表で世界最高のゴールキーパーと名高いブッフォン(ユヴェントス)をはじめ数多くの大物選手が在籍していたこともあります。日本人にとっては、何と言っても中田英寿が在籍したチームとして、サッカーファンならば知らない人はいないチームと言えるでしょう。ローマやミラノなど大都市のビッグクラブが幅を利かすセリエAにおいて、プロヴィンチャ(田舎)のチームながら、優勝争いをしてきたチームはパルマぐらいのもの。本展で紹介されるパルマ派の美術がイタリア美術史の中で示す存在感と同じように、パルマのサッカーがイタリアサッカーの歴史に名を残し、影響力を発揮し続けているのは、パルマという街が持つ独特の風土がなせる業なのかもしれません。