アンリ・マティスは、20世紀を代表する画家としてその名を広く知られています。1905年の秋にパリで開催された展覧会(サロン・ドートンヌ)に、色鮮やかで大胆な表現による作品を出品し、大きな衝撃をもたらして以来(そのときマティスと彼の仲間たちは「野獣派」と呼ばれました)、絵画表現の新たな可能性を開いた革新者として、その名声を高めていきました。マティスの作品が持つ色彩の美しさと装飾性は、人々を魅了してやみません。しかし、一見簡単に描かれたように見える彼の作品も、実は長い熟慮と試行錯誤による賜物です。
絵とはどのように生まれてくるものなのか、この決して簡単には答えることのできない問題とマティスは真剣に取り組んだ画家であるといってもいいかもしれません。絵とは、あらかじめ画家の頭や心のなかにあった構想(意図あるいは意識)が、単純に絵に翻訳されたものではありません。画家と描かれる対象との対話、あるいは画家と作品との対話など、実際の作画という行為のなかで、ときに画家自身の意識をも超えて生まれてくるものです。描かれている最中に刻々とその表情を変えていく作品は、そのつど画家に問題を投げかけ、画家を試そうとするのだともいえます。このようなある種の葛藤のもとに生まれる作品は、最終的にたったひとつの帰結を持つものとは限りません。主題はさまざまに変奏され、いくつものヴァリエーションを生む可能性をはらんでいるのです。実際、マティスは、同じ主題をまったく異なる表現(より写実的であったりより抽象的であったり)によって表した作品を数多く残しています。