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靉光・揺れ動く時代の痕跡展
靉光とは何者だったのか
江川佳秀 徳島県立近代美術館学芸課長
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≪眼のある風景≫ 1938年、油彩/キャンバス、102.0×193.5cm、東京国立近代美術館蔵

 1994年、徳島県立近代美術館で開かれた靉光・揺れ動く時代の痕跡展(4月23日−6月5日)を担当した。私にとっては企画の第一段階からかかわった初めての経験だった。「駄目もと」で会議に提案し、たまたま空白になった展覧会スケジュールを埋める形で認められた。

 私にとって靉光とは、学生時代から迫いかけていた画家だった。学生時代は靉光夫人のもとに通い、夫人を通じて靉光の旧友や所蔵家を紹介された。旧友たちから生前の靉光の話を聞き、作品を目のあたりにして、いつか展覧会を開けたらと思っていたのだ。

 出品交渉が本格化して各地の美術館を訪ねると、相手をしてくれた先輩学芸員たちが、口々に「学生時代のテーマを展覧会にできるとはうらやましい」「自分が見たいと思うのが、一番まっとうな展覧会の動機だ」といったことを語ってくれた。自分では気づかなかったが、美術館学芸員としては稀にみる幸運だった。

 展覧会には各地の美術館や所蔵家の厚意、そして今では故人となってしまった夫人や旧友たちの献身的な協力があって、170点余りの作品と資料を集めることができた。新出の作品や資料、各地の美術館で常設展の目玉となっていた作品もあった。当時としては考え得る限りの靉光展だったと思う。

 さて、展覧会が終了し、作品の返却が一通り終わって、私は報告のため夫人を訪ねた。展覧会を心待ちにしてくれた夫人だったが、その頃は体調を崩し、寝たり起きたりの生活を送っていた。徳島の展覧会場にはとうとうお越しいただくことができなかった。夫人は床の中で私の話しを聞きながら、途中で手を差し出された。私は突然のことに動揺し、最後までその手を握り返すことができなかった。約4か月後、10月23日に夫人は亡くなった。

 徳島の展覧会図録には可能な限りのデータを収録して、靉光に関する基礎資料集とすることを目指した。わずかだが作品の制作年代や履歴の誤りも訂正することができた。しかし当時の私にできたのはそこまでで、靉光とは何者だったのか、日本の美術史にどう位置づけるべきかといった肝心な部分には力が及ばなかった。最後に夫人と語ったのはこのことだった。

 徳島のあと、すでに何度か靉光展が開かれている。2007年3月からは、東京国立近代美術館をはじめ全国3会場で開かれる。新たな人たちが、新たな視点で靉光をとらえ直してくれるに違いない。

 しかし夫人と語ったことは、差し出された手の記憶とともに、十数年経っても今なお脳裏を離れることがない。私にとっては重い宿題を残した展覧会だった。

美連協ニュース93号(2007年1月)から転載(※役職は掲載時)



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