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思い出の展覧会
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「版画芸術の饗宴―ケネス・タイラーと巨匠たち 1963-1992」
ホテルのシャワーが動かない
浜田拓志 和歌山県立近代美術館学芸課長
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刷り上がりをチェックするタイラー氏(左端)

 ケネス・タイラーはそれまでの刷り師とは違って、画家達の共同制作者として作品の制作にかかわり、多くの新しい技法や紙の開発等を行ってきた。彼の業績と共同制作にスポットをあてる展覧会を開催するにあたり、学芸員たちによる現地調査が1992年2月に行われた。

 ケネス・タイラー工房のあるマウント・キスコは山々に囲まれた美しく閑静な地で、ニューヨークの中心地から北へ車で約1時間のところにある。工房の面積は約2600平方メートル。われわれの調査中も、プリンターや紙づくりのスタッフが常時10名以上、タイラー氏の指揮のもと、忙しく立ち働いていた。

 あらゆる版種に対応できる最新の大型設備を有する工房内部では、複数のプロジェクトが同時に進行していたが、とくに興味深かったのは、ドーム型の立体的な紙を使ったステラの新作の制作過程だった。特殊なドーム型の大型紙を作るにあたっては、真空ポンプを用いたシステムが活用されていた。別の場所では、ドーム型の金属プレートにインクをのせる作業も行われていた。コンピューターで制御された大型プレスで刷る作業には、ステラ氏も訪れて、仕上がり状態を入念にチェックしていた。

 このときの調査メンバーは横浜美術館の天野氏、道立帯広美術館(当時)の佐藤氏、徳島県立近代美術館の吉川氏、美連協の松本英隆氏、そして私の5名。リーダーであった天野氏の語学力と海外経験によって調査は順調に進んだが、私はといえば37歳にもなっていたのに海外旅行は2回目。しかも最初の旅行はパッケージツアーだったから、いきなりハードルを高く上げられたこの調査は緊張と失敗の連続だった。

 それはニューヨークに到着した日に起こった。市内のホテルに着くと、天野氏は「一服したら、すぐミーティングに入ります。」とメンバーを急がせたが、部屋に入った私は、いきなりシャワーの前で立ち往生してしまった。お湯がでないのである。取っ手は右にも左にも回らない。押してもダメ。2月の凍えそうな寒さに震えながら、ガチャガチャやっていた時、ふと目の高さにマイクのような黒いプレートが見えた。表面になんとSpeak man と書いてあるではないか。変な命令形だなとは思ったが、なにせアメリカはハイテクの国である。「ホットウォーター、プリーズ!」何回か発音を変えて語りかけてみた。しかし何の反応もない。取っ手を引けばお湯がでることがわかったのはその数分後だった。

 この話は大いに受け、のちニューヨークの美術界で広まることになった。というのもタイラー工房でわれわれ調査団を歓迎するパーティーが開かれた時、タイラー氏と天野氏が面白がって出席者たちにこの話をしたからである。Speak man というのは、老舗のシャワー器具メーカーらしく、「あなたは、パーティージョークのいいセンスをもっているわ」と褒められたり、「君はミディアム・ホットウォーター、プリーズというべきだった」と助言を受けたりして私は人気者になった。懐かしい思い出である。

※ 1992年から93年2月にかけて、全国5会場で開催

美連協ニュース92号(2006年11月)から転載 (※役職は掲載時)



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