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思い出の展覧会
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「東ドイツ美術の現在」
ベルリンの壁崩壊、「えっ!」全国を巡回中に・・・・・絶句
西村勇晴 宮城県美術館学芸部長
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ブランデンブルク門の「ベルリンの壁」に集まった人たち(1989年11月10日)

 「えっ、本当!」 テレビ・ニュースを見て絶句してしまった。1989年11月10日のことである。東ドイツの前日の出来事をテレビが伝えていた。同国政府が市民の旅行の自由化を発表したことによって、大勢の市民が西側へと移動し、ベルリンで東西を隔てていたあの壁によじ登ったり、ハンマーで打ち壊したりしている姿が画面に映し出されていたのである。とっさに思ったのは、展覧会はどうなるのだろう、ということや準備で関わった多くの人々のことだった。

 私は87年秋、美術館連絡協議会の海外研修で、当時の西ドイツに滞在する機会を得た。その間、5年に一度、開催されている東ドイツ美術展を見て、同国の美術を紹介する展覧会の可能性を判断して欲しいという、美連協事務局からの宿題を果たすべくドレスデンに赴いた。その前に、東独文化省のはからいで、東ベルリンやフランクフルト・アン・デア・オーデルの美術館などを訪問し、1949年の同国以降の美術の流れや、60年代始めまで表現主義は認知されず、70年代になってやっとレアリスム以外の制作が認められたことなどを学習してはいた。だがドレスデンの絵画、彫刻、工芸を網羅した大展覧会は、社会主義イデオロギーの絵画という予断を一掃した。生真面目に人間を見つめた内省的な内容、イメージの喚起力を再認識させる具象絵画の質の高さに新鮮な感動を覚えて、事務局には「是非とも開催すべきです」という報告を送ったのである。

 翌年3月、庄田事務局長(当時)、山梨俊夫氏(現神奈川県立近代美術館長)、坂田燦氏(現熊本県立美術館副館長)と私の4人が開催予定館の代表として展覧会準備のために東ドイツを再訪する。まだ開催中だったドレスデンの展覧会を見たり、美術家のアトリエを訪問したりするなどして、出品作家を選定することが目的だった。ドレスデンのホテルのロビーで絵画だけの構成とし、一作家複数点の出品とするという基本方針をたて、作家の選定作業をしたのを思い出す。翌日ベルリンで提出したこの日本側の要望に、後日東独側が修正を加えるなどやりとりをして実現したのが37作家150点による「東ドイツ美術の現在」展である。1989年6月西武美術館を皮切りに90年5月宮城県美術館まで、全国7館を巡回したのだった。

 今はもう存在しない東ドイツを二度にわたり訪問するという貴重な機会をいただいたわけだが、最も印象に残っていたのは、最初の訪問でソヴィエト製の公用車で国内を回ってくれた若い運転手を含め、会う人の誰もが旅行の自由を求めていたことだった。今にして思えばそのことが壁の崩壊につながったのだ。

 1990年10月3日の東西ドイツの再統一へと至る端緒となった国際的な出来事とも関連し、情勢いかんでは中止の可能性も数パーセントながらあったわけである。それだけに国際情勢と展覧会の関係を再認識させてくれたし、その出来事が話題になるたびに今でも関係者を思い出す展覧会なのである。

美連協ニュース90号(2006年5月)から転載 (※役職は掲載時)



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