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思い出の展覧会
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総合開館記念展「日本近代写真の成立と展開」
岡塚章子 東京都江戸東京博物館 事業企画課展示企画係長
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田村榮《白い花》1931年「日本近代写真の成立と展開」展図録 表紙

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篠山紀信《白い花》1994年『アサヒカメラ』1995年1月号 表紙

本展図録の表紙は、田村榮の《白い花》。また、奇しくも展覧会と同時期に刊行された写真雑誌『アサヒカメラ』の表紙も、篠山紀信が宮沢りえに白い花を持たせて撮影した《白い花》であった。こちらが選び抜いて図録の表紙に使った一点が、偶然にも篠山氏のアンテナに引っかかった作品と同じという結果となり驚いた。

 気が付けばこの仕事についてから26年が経つ。誰もが経験していることと思うが、展覧会には悲喜こもごものエピソードがつきものである。

 今でも時折思い出されるのは、東京都写真美術館に勤務していた時に企画した総合開館記念展「日本近代写真の成立と展開」である。

 大正期から戦前にかけて、現在の写真の基となる作家性を追求した作品や、広告、報道など社会的役割を持つ写真が次々に登場する。日本各地に写真団体が結成され、写真雑誌や展覧会を中心に多彩な表現を持つ写真が生み出された。それらは国際的に見てもレベルが高く、時代を超えて今なお存在感を放ち、現代の写真家にも少なからず影響を与えている。本展では写真表現の領域が急速に広がった時代の全貌を明らかにするため、埋もれた写真作品を一点でも多く出品しようと、準備段階から方々を捜し歩いた。

 夏の暑い日、とある写真家(当時はまだ数人の作家が健在であった)に作品を見せてもらい、戦前の活動について話を伺っていると、写真仲間を紹介してくれると言う。幸い近所であったことから、その足ですぐに訪ねた。夫人が出迎えてくれたのだが、残念なことに当該の写真家は3か月前に亡くなっていた。前置きも早々に作品を見せてほしいと切り出すと、「先般、四十九日を期に全て処分しました」と晴れ晴れとした顔で言われた。聞けば、プリントした写真が山のようにあったそうだが、すっぱり捨ててしまったそうである。生前、写真雑誌に発表していた作品が独特な造形美を持ついい作品であっただけに、本当に惜しいことをした。せめて一周忌まで待ってほしかった。他にも「写真が残っているはず」、と連絡先を教えてもらった写真家の遺族からも「一枚も残っていません」との答え。遺族によれば、家庭も家業も顧みず、資産をつぎ込み、身代をも潰しかねない勢いで写真に入れあげていたそうだ。家族としては、自分たちを辛い目にあわせた写真が憎くて仕方がなかったのであろう。焼却したと聞いたが、一般ゴミとして廃棄したのなら、ひょっとして一部でも残ったかもしれない、と思わず考えてしまう。

 しかし、中には救われた写真もあった。遺族に電話をした時には、「何も残っていない」とのことであったが、しばらくして「仏壇の奥から何か出てきた」との知らせ。見に行くと固く丸まった紙筒を渡された。中を覗いてみると、色がついた写真のようである。そのまま預かり、少しずつ蒸気をあてて広げていくと、なんと、戦前の写真雑誌『フォトタイムス』に掲載された代表作であった。なぜ、仏壇の奥に一点だけあったのかは謎であるが、自分の亡き後、捨てられてしまうことを見越して隠しておいたのではないだろうか。この一点により、写真家はその名を後世に残すことができた。

 このようにして集められた作品により、展覧会は無事に開幕した。実は、開幕4日前におこった阪神・淡路大震災の被災地にあった個人宅から借用した作品も集荷済で東京にあったため難を逃れた。作品の持つ運命の不思議さをつくづく感じた展覧会であった。

会期:1995年1月21日(土)〜3月26日(日)東京都写真美術館

美連協ニュース130号(2016年5月号)から転載(※役職は掲載時)



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