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レオナール・フジタとパリ 1913-1931
藤田嗣治渡仏100周年記念
「世界のフジタ」誕生の軌跡 ―藤田嗣治渡仏100年を機に―
村上 哲 熊本県立美術館学芸課長
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「レオナール・フジタとパリ 1913-1931」 展覧会図録(表紙[左奥]と裏表紙[右奥]、《ヴァイオリンを持つこども》を紹介した見開きページ)
©Comité d’organisation de l’exposition”Leonard Foujita et Paris 1913-1931”,Japan,2013(上)
藤田嗣治ゆかりの街ランスの「フジタ礼拝堂」(〝平和の聖母礼拝堂〞)を訪ねて(この堂内に藤田は妻の君代とともに眠る)
©Art Bibliographies Archives,Japan,2015(下)

 2006年の冬、熊本県立美術館の開館30周年を目前に控えて、私は「エコール・ド・パリ展」の図録のために藤田嗣治(レオナール・フジタ)のエッセーに取り組んでいた。その物語を藤田が渡仏した1913年の夏から始めようとして、ふと思い至る。「7年後の2013年は、藤田がフランスに渡って百年か!」。この節目の年こそ、渡仏を契機として頂点へと登り詰めていく画家を紹介する好機と見定めた瞬間であった。

 アイデアが閃いてのち構想3年、準備4年を費やして、藤田嗣治渡仏100周年記念と銘打った企画が実現する。「乳白色の画肌」で一世を風靡した1920年代を頂点に、1910年代の模索期から南米へと旅立つ1931年までの20年間に焦点を絞り、「世界のフジタ」誕生の軌跡を辿る初めての試みであった。パリの初個展を飾ったエキゾティックな作品群や新発見の油彩画、最初の妻に宛てたパリからの書簡類は本邦初公開であり、大きな話題を呼んだ。藤田がパリに到着してちょうど百年目の夏、画家が幼少期を暮らした熊本は、圧巻の〝フジタ・ワールド〞に酔いしれる劇場と化したのであった。

 この企画でフランスから監修に迎えたのが、藤田研究の権威シルヴィー・ビュイッソンさん。シルヴィーさんは労を厭わず、知識と人脈をフル稼働して牽引してくれた。またパリ市立近代美術館のソフィー・クレッブスさんも「エコール・ド・パリ展」に続いて参画、慧眼のエッセーを寄せた。さながら日仏共同プロジェクトの様相を呈しながら、この企画は株式会社ブレーントラストの尽力により全国の美術館で開催され、NHK日曜美術館への参画・出演をはじめ、『文藝春秋SPECIAL』への執筆、テレビ番組の制作なども相次いだ。

 展覧会図録にはエッセーや章概説など、400字詰め原稿用紙にして250枚、約10万字の原稿を執筆した。一冊の図録にこれだけの分量を書いたのは、30年の学芸員人生で初。「まるで小説家みたいね」と家人に冷やかされながら、2013年冬の3か月は断酒して、日夜、文字を紡いだ。思えば藤田は酒が一滴も飲めない体質で、かつ恐るべき筆まめの男。天国の画家が命じたミッションだったのだろう。

 これに先立つ2002年、熊本県立美術館では常設の核として、熊本ゆかりの藤田の名作《ヴァイオリンを持つこども》を入手し、日仏の美意識を繋ぐ要とした。そして一連のエコール・ド・パリの展覧会へ。収集と企画とを体系的に繋ぎながら、美術館としてのアイデンティティーの在処を模索するなかで、過去から未来へと連なる「美の記憶」を紡いだ日々であった。世界を股にかけた藤田嗣治は、時空を超える芸術の力とともに、古今東西の美を駆ける至福の時間と将来への礎をわが美術館に授けてくれたのである。

会期:2013年7月2日(火)〜8月25日(日)  熊本県立美術館
本展は、静岡市美術館、北九州市立美術館、美術館「えき」KYOTO、秋田県立美術館、岡山県立美術館に巡回

美連協ニュース128号(2015年11月号)から転載(※役職は掲載時)



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