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外骨−稀代のジャーナリスト
多 忠秋 伊丹市立美術館副館長
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「外骨−稀代のジャーナリスト」展示風景

 「諷刺とユーモア」を蒐集のコンセプトとする当館が、2008年に開館20周年記念事業として開催したのが本展「外骨−稀代のジャーナリスト」。2005年度より開催してきた大阪の戯画シリーズ「笑いの奇才・耳鳥斎(にちょうさい)!〜近世大坂の戯画〜」展、「明治大阪の錦絵新聞」展につづく第3弾として、現在も出版業界のみならず数多くの表現者に多大な影響を与え続けている宮武外骨の波乱万丈な生涯と反骨漢ぶり、ユニークな出版物を紹介した。耳鳥斎展で笑いの街・大坂の原点を探り、錦絵新聞展で大衆ジャーナリズムの開花をみる。そして外骨展によって、明治後期の大阪で生まれた、最盛期約8万部という当時としては驚異的な発行部数を記録した諷刺雑誌『滑稽新聞』生みの親、宮武外骨の全貌に迫ろうという企画である。

 「天下独特の肝癪を経とし色気を緯とす過激にして愛嬌あり」を旨とする『滑稽新聞』。それは外骨の人生観そのもの。スピード狂のごとく速く生き生きとしたテンポ。きびきびした文体。鮮やかな色彩。視覚的な面白さは勿論、聴覚にもうったえる優れた絵師による挿画や活字とともに、古い印刷物の再利用、白紙の論説、パロディー広告など数々の奇想天外なアイデアが、自由闊達な版組みにより惜しげもなく紙面を飾っている。さながら雑誌を舞台に開かれている、剛腕編集者・外骨による「滑稽新聞」という名の類まれな展覧会であり、その印象は今もかわっていない。

 宮武外骨は、明治・大正・昭和にわたり反骨反権力を貫いたジャーナリスト。発布直後の明治憲法に擬した頓智研法を骸骨(=外骨)が下賜する絵を掲載し不敬罪とされ初入獄するなど、筆禍による入獄4回、罰金・発禁29回を数えながら1000冊を超える刊行物を残した。本展では、外骨の最高傑作である代表的刊行物とともに貴重な遺品も多数出品することができ望外の喜びであった。それには、外骨の蒐集による明治期の新聞雑誌を中心に所蔵し、外骨の著作のほとんどが収められている東京大学明治新聞雑誌文庫、知る人ぞ知る存在だった外骨の再発見の機運をつくった赤瀬川原平氏、外骨の義理の甥にあたる吉野孝雄氏の全面的なご協力があってのことである。この誌面であらためてお礼申し上げたい。

 しかしながら、社会と切り結び、雑誌というメディアでウラをオモテにするような桁外れの実践者である外骨の肖像は、ひとつの展覧会で浮き彫りにするにはあまりに大きかった。先にも書いたが、外骨の雑誌は誌上展覧会としてすでに驚くべき完成度をもっており、くわえて外骨は、代表作『滑稽新聞』を最盛期に突如「自殺号」と称して自ら廃刊にしてしまうなど、読者の意表を突くパフォーマンスさえたびたび行っている。

 外骨には及びもつかないが、せめて展覧会ごとに刺激的なアイデアをひとつでも繰り出して今後も重ねて紹介しようと思うのだが、その魅力をなぞるだけではなくさらに引き出すには新たな展覧会の手法を模索する必要があるだろう。そこで、外骨の多くの出版物と外骨に魅せられた方々そして吉野孝雄氏から教えられた、大胆不敵で融通無碍な外骨の生きざまを支えたものは根っからの「愛嬌」であったことをいま一度思い起こし、「諷刺とユーモア」を原動力に、展覧会のかたちを更新していきたいと考えている。

 最後になるが、来年2015年は外骨の没後60年。昨年、今年と復刊され好評の『震災画報』、『アメリカ様』をあらためて読んでいる。操觚者・外骨の「威武に屈せず富貴に淫せず ユスリもやらずハッタリもせず」の精神が今に息づいている。(おおの・ただあき)

※会期:2008年1月5日〜 2月17日 伊丹市立美術館

美連協ニュース123号(2014年8月号)から転載(※役職は掲載時)



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