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思い出の展覧会
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「現代日本のポスター」展
片岸昭二 富山県立近代美術館 副館長兼普及課長
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「現代日本のポスター」展開会式、展示室での
記念撮影(1982 年4月10日)
(後列左から)筆者、小川正隆、戸田正寿
(前列左から)横尾忠則、永井一正、田中一光、
山城隆一、亀倉雄策、早川良雄

 「君は若いからデザインをやりなさい。」と富山近美創立当初に小川正隆館長から言われ、初めて企画を任されたのが「現代日本のポスター」展だった。当館が国内外の20世紀美術を紹介し、さらに、これからの美術館活動にデザインを取り上げていきたいとの思いで発案され、当時の公立美術館としては、画期的な企画だったと思う。第一線で活躍するデザイナー20人が選考され、それぞれに代表作というべきポスター20点の寄贈による、合計約400点のポスターによる展覧会だった。開会式当日、来場者のなかに「ポスターを見るのにお金を取るのか」と言った人が、会場を一巡するや、前言を撤回。「これは、そこいらの絵の展覧会より面白い」と、変な褒め方をされ、筆者は美術館でポスターを扱うことにさらに意を強くした。

 こうしたポスターを紹介した展覧会が評価され、亀倉雄策、田中一光、永井一正、福田繁雄の各氏から、富山でポスターの本格的な国際公募展ができないかとの要望に応え、1985年「世界ポスタートリエンナーレトヤマ」を実施することになった。応募要項の作成、海外との連絡、作品の扱い、審査の方法、すべて初めてのことばかりで、手探りのまま始まった。今のように便利なパソコンや通信システムがあれば、海外とのやりとりは、難なくできたのだろうが、当時は、手紙をタイプライターで、急ぎの時は、電報といった方法だった。ずいぶん悠長だが、ひとつずつが濃密な時代だったと懐かしく思い出される。初回の募集受付を開始して1か月がたった頃、小川館長に募集状況を聞かれ、報告した点数がわずか30点足らずだった。烈火のごとく怒号を放たれた。「これは、館の責任ではない。君個人の責任だ。」と。それからというもの、必死になって募集作業に取り組んだ。締め切りが近づくにつれ、続々とポスターが送られてきて、結果、応募数1567点、初回にしては、沢山集まったと、ほっと胸をなでおろした。

 これに気をよくして、今度は、日本を代表する4人のグラフィックデザイナー亀倉、田中、永井、福田の4人展を美連協で企画巡回した。1987年、亀倉雄策の命名になる「4―G・D」展、内容はポスターとマークである。松屋銀座、宮城県美術館、新潟市美術館、下関市立美術館、大阪ナビオ美術館、そして当館で巡回し、その後、ペレストロイカの風が吹くソビエト連邦時代最後のころ、ウラジオストクで展覧した。国内でも評判となり、また、ソ連では、日本のポスターは珍しく「新しい絵画の出現!」と好評を博した。

 ポスターを介してデザイナーの方々と知り合い、内外の美術館での企画など、さまざまに活動ができた。きっかけは、「君は若いから…。」の一言から始まったが、デザインに触れているようで、何も知らないように思うことがある。ただ、筒に丸められてきたポスターを広げ、そこに現れるヴィジュアルに心踊らせる瞬間は格別であり、その気持ちこそは、いつまでも「若い」ままでありたいと思う。

※会期:1982年4月10日〜 5月13日 富山県立近代美術館

美連協ニュース122号(2014年5月号)から転載(※役職は掲載時)



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