読売新聞へようこそ■イベント
美術館連絡協議会 美連協について English 美術館連絡協議会
-
思い出の展覧会
バックナンバー
「もしもの森」
那須孝幸 北九州市立美術館学芸課学芸係長
(前・鶴岡アートフォーラム副館長)
picture
上:図1《鶴岡の食卓》(原題:Tools,life)
左下:図2《街》(原題:at)
右下:図3 積木箱をイメージした展覧会図録は7作品のフリップブックで構成された

 地方都市で市民参加型企画をどう展開するか。それを模索したひとつにメディア・アート展「もしもの森」(鶴岡アートフォーラム/山形)がある。日本海側に位置する同館は05年の開館以来、市民と現代作家との交流に主眼を置く長期プロジェクト「市民交流プログラム」を毎年実践している。一企画に2年から4年をかけ、共同制作や公開を通じて市民サポーターや一般参加者とともに地域に根ざした美術活動の定着を目的とするものだ。

 さて、開館3年目の08年春に開催した同展は、メディア・アーティストとして活躍するユニット「近森基++久納鏡子(minim++/plaplax)」を招いた企画で、山形美術館の協力により2館同時開催の展覧会として結実した。結果的には作家にとって過去最大規模の個展となった。

 彼らの作品の特徴でもあるが、全ての展示物が観覧者のアクションにより駆動する構造となっている。会場構成は「もしも」子どもが不思議な森に紛れ込んだらと仮定し、作品名も原題を主旨に合わせ変更した。当時の入館者数を記録更新した同展はリピーターが多いのが特徴で、しかも子どもたちの口コミが幼稚園や小学校を通じて拡がり家族や友人を引き連れて再来館を繰り返すという、嬉しい賑わいだった。

 なかでも新作2点は現地の地域性を盛り込み反響も大きかった。そのひとつ、森のなかで遭遇する《鶴岡の食卓》[図1]は、前年のワークショップを反映させた作品で、観覧者が金属性の日用品に触れるとその影から別なアニメーションの「影」が飛び出してくる。今回は地元名物をテーマに市民が家庭から食器やコルク抜きなどを持ち寄り、その影から飛び出す映像を創作し作家が加工した。結果、「山伏」「だだちゃ豆(枝豆の一種)」「クラゲ」など、オブジェから想起される地域性あふれるモチーフが登場した。もうひとつ、森を抜けたあとに辿り着く《街》[図2]は、天井から床に投影された現代の鶴岡市街地。そこに踏み込むと自分の足下周辺だけが江戸地代の地図に切り替わるという作品。庄内酒井藩の城下町だった当地は、鶴岡城を中心に当時の道や町並みが今も残されており多くの要所が過去とシンクロする。

 また、展覧会に合わせフリップブック形式の作品集[図3]を発行した。動画記録にはDVDが有効だが、書籍は会場で即座に視覚へ訴えるし、何よりも、手に取った読者の指さばきにより自在に再生されるというインタラクティビティが同展にふさわしいと考えた。閉会後は全国のミュージアムショップでも扱われ初版は完売した。

 企画から開催までを市民・作家・スタッフの手で行ったこの事業、設営は作家を招いてから約1か月。とくに地方都市におけるメディア系展覧会の場合、急なトラ ブル対策が大きな課題なため、メンテナンス含め大概のことはスタッフ自身で対応しようと覚悟し臨んだ。が、ある日、やはり起きてしまった事件、それが原因不明のブレーカーダウン。プロジュクター、PCソフトの設定記録が失われてしまい、10作品が正常に作動しなくなった。朝から作家とつながる携帯電話を片手に、機材をひとつひとつ設定し直す僕ら学芸。そんななか開館前から来館者が列をなす様子を見かねた館長の英断(?)で、復旧中にもかかわらず開場を決行、観覧料は半数の作品が直るまでは「無料」、半数を超えたら「半額」、全て修復してから「全額」とした。来館者に見守られながら復旧する汗だくのプレッシャーが効いたのかどうか、結局、昼過ぎまで4時間をかけ全ての作業を終えた。

 後日談だが会期終了後まもなく、岩手・宮城内陸地震(M7・2)が発生した。土地柄、施設対策は講じていたとはいえ、「もしも」天吊り機材が多い本展会期中のことだったらと思うと、正直ぞっとした。展示物含め会場の構造を十分把握しておく、どんな些細なものでも吊物への命綱取付けは必須だと、当時スタッフ同士で再確認した。そして、作家と密に検討し日頃から丁寧に対応すればきっと乗り越えられる、とも。

※会期:
2008年4月26日〜5月25日 鶴岡アートフォーラム/山形美術館

美連協ニュース114号(2012年5月号)から転載(※役職は掲載時)



-
美術館連絡協議会 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1 読売新聞東京本社事業局 TEL.03-3216-8664 FAX.03-3216-8978