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思い出の展覧会
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廣島から広島 ドームが見つめ続けた街
−歴史の追体験と未来への希望
松田弘 広島県立美術館学芸企画監兼学芸課長
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広島県産業奨励館の石柱を引き上げる本川小学校の児童たち

 昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。昨年は被爆65年、原爆ドームの前身である広島県産業奨励館が開館して95年の節目となりました。この展覧会はこの95年間の広島の街と文化の変遷を辿り、未来の広島を見つめ直そうとするものです。

 全体は三部構成で、第一章は「広島県産業奨励館とモダン都市“廣島”の文化」。戦前の産業奨励館は、県産品の販売促進のための施設でした。今回は広島平和記念資料館の学芸の方の調査により、産業奨励館の全展示事業を明かにしました。同時に設計者の建築家ヤン・レツルの紹介もしました。

 今回は地元の呉工専の学生さんたちによる高さが3メートル以上もある産業奨励館の模型、当時市内で最もモダンな橋であった猿猴橋の復元模型、宝塚少女歌劇団ができてわずか数年後に廣島に結成された羽田少女歌劇団の新出のパンフレットや写真なども展示しました。戦前の廣島はモダンな大都市だったのです。

 第二章は「被爆」です。広島に住んでいた詩人や作家、漫画家、画家たちがいかに原爆を表現したかを展示しました。被爆直後から避難のため市内を移動しながら記録した原民喜『原爆被災時のノート』の手帳。中沢啓治『絵本はだしのゲン』の原画。これらの作品は記録と創作が拮抗する独特の強さを持ち、広島に生まれた人たちの何か「熱」のようなものを感じさせました。

 第三章は「原爆ドームと戦後“広島”の六十五年」です。広島で定点観測のようにドームや街を記録してきた写真、広島市立大学の学生たちに委嘱し、文字でしか残っていなかった戦後復興案を造形化した作品などを展示しました。若い制作者たちによる広島の未来に対する想像力を感じる展示となりました。

 今回の展覧会ではそれぞれ思い出になるもの数多くありますが、いくつかことを書きとめておきたいと思います。原爆ドームの目と鼻の先にある元安川に、原爆の爆風に飛ばされて埋没していた産業奨励館の石柱を地元の本川小学校の児童たちと一緒に引き上げ、展示しました。被爆した子どもたちの傷んだ衣服をその後輩たちである洋裁学校の学生たちが復元したこと。そして広島県産業奨励館の戦前の住所である猿楽町十五番を復活させ、ここに実際に平和を願う葉書を世界中から郵送してもらったこと。などなどです。

 広島に住む一学芸員として、広島の歴史の追体験とこれからの広島への希望を、広島の人々と一緒に経験できたことは私の一生の思い出となりました。

※会期:
2010年8月5日〜9月20日 広島県立美術館

美連協ニュース110号(2011年5月号)から転載(※役職は掲載時)



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