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思い出の展覧会
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海老原喜之助展
開館以来の強い思い 学芸員としての自信つかむ・・・その一心で
古家良一 熊本県立美術館学芸課長
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「海老原喜之助展」の会場風景

 戦後15年を熊本県で過ごし、熊本の芸術文化の振興に多大な足跡を印した海老原喜之助の展覧会を熊本で実現したい。開館後間もない頃からこの強い思いがあったものの、何せスケールの大きい企画展である。その方法論を、当時の学芸課長を中心に模索する日々が続いていた。実現の発端は、昭和57年、学芸課長と海老原喜之助の次男・義さんとの面会の機会に遡るが、その翌年だったか、館長、学芸課長に随行し、海老原が戦後の5年間を過ごした熊本県人吉市の旅館で、義さんに正式に開催について美術館の決意を伝えた。義さんも美術館の熱意を感じ快く承諾していただいた。

 義さんとの出会いをきっかけに、まずは作品所在の調査を始めた。昭和46年の石橋美術館などで開催された海老原喜之助展の出品リストを起点に、全国に散らばっている作品と所蔵家の追跡作業である。たいへんな作業であると覚悟していたが、それでも個人や法人所蔵については、やはり悩まされた。開館間もない時代であったので、まずは熊本県立美術館の理解を得ることから始めなければならない。それに世代交代や作品の異動が予想される状況の中、また展覧会の具体的な日程が決められない中での、電話による調査、情報収集は、正直なところ実に気が重かった。中には電話の向こうで「面倒だから作品が無いことにしとけよ」という声や、また直接会うことすら拒否された、いわば門前払いのようなこともあった。それを支えたのは、この仕事をやり遂げれば、学芸員としての何か自信のようなものがつかめるのではないかという思い、それ一つであったのかも知れない。学芸課長と二人で、北は青森から南は鹿児島まで可能な限り調べあげた。初公開となるような海老原作品の朗報も飛び込んできた。

 熊本には海老原喜之助を直接知る人が多かった。いろんな人から海老原に寄せるそれぞれの思いや、企画への意見がしばしば耳に伝わった。義さんの考えもある。それらを調整しながら美術館としての構想を練りあげた。

 この展覧会はのちに、東京と鎌倉の美術館でも開催することができたが、熊本の企画展を他館で実施することができたのはこれが最初であった。

 鹿児島では、義さんの案内で、学芸課長と二人で4×5のカメラを担いで取りまくったが、その時の所蔵家のお一人とは今も深い付き合いが続いている。

 10泊11日うち車中泊4日、これは海老原喜之助展のため、青森から南下して熊本に帰ってきた作品の集荷日程、私の学芸員生活の最長不倒の記録である。

(会期:1986年5月10日〜6月8日)

美連協ニュース102号(2009年5月号)より転載(※役職は掲載時)



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