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思い出の展覧会
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目黒区美術館開館10周年記念
高野三三男展 アール・デコのパリとモダン東京
プラハで見つけた幻の作品群 “60年の眠り覚ました”感動、今も
矢内(やない)みどり 目黒区美術館学芸係長
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上:「高野三三男展」会場風景
下:1936年の記事の切り抜き(左から)プラハ新聞、ボヘミア、プラハ日報

 1996年冬、私はプラハにいた。翌年の準備で、高野三三男(こうの・みさお)とその周辺作家の作品調査と出品交渉のためだ。高野は1924年渡仏、40年戦争のため藤田嗣治らと帰国、この間の作品は殆どヨーロッパのコレクター蔵であった。

 高野の遺品の中の戦前の3枚の切り抜きの1枚、プラハ日報に高野の裸婦が大きく掲載されていた。パリで華やかな社交生活と文化活動を行っていた薩摩次郎八について、記事では藤田や高野らの絵画や土佐派の屏風などを1936年、当時のチェコスロバキア政府に寄贈し、記念の展覧会をプラハのボヘミア芸術協会で開催したことを、日本に縁の深いクーデンホーフ=カレルギー伯爵家にも触れて記していた。

 滞仏時代の代表作と思われるその裸婦の探索を心に決めたものの、他に手掛かりもない。記事中、数館の公の美術館に分納するとあったので、プラハのいくつかの美術館や大使館に手紙を書いても全く手応えがなく、現地へ行って調査しようと考えたのだ。

 プラハには、他にも日本美術のコレクションがあり、親日的で、この時知己を得た国立美術館の学芸員の方々は、私の調査の目的に共感され、親身なご協力を惜しまれなかった。深く感謝している。

 まず東洋美術館で屏風や軸、藤田と出島春光の素描の所在が判明したが、油彩は依然として見つからない。

 滞在の最終日の前日、20世紀ヨーロッパ美術に分類された可能性が出て、20世紀美術館に駆けつけた。ここでは、寄贈の頃からナチスの脅威があり、1969年に収蔵庫の火事も起きていたので、消失したかもしれないと言われたが、広い収蔵庫の奥を丁寧に探していただいた結果、高野の油彩「裸婦」2点、荻須高徳の油彩「風景」が暗闇から運びだされてきた。状態は悪く、修復の必要はあったが、新聞記事の印象は変わっておらず、作品は60年の眠りから覚めたのだ。

 この展覧会では、高野、藤田、出島の各2点と荻須1点を含めた26点の作品が各国から里帰りした。それぞれが様々な運命をたどって一堂に会した感激や、その作品と出会った時の感動を今でも忘れることはない。

※会期:1997年11月8日〜98年1月11日

美連協ニュース101号(2009年2月)より転載(※役職は掲載時)



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