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思い出の展覧会
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田中恭吉展
井上芳子 和歌山県立近代美術館 学芸課長
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田中恭吉《焦心》1914年
和歌山県立近代美術館蔵

 田中恭吉の初めての本格的な回顧展が2000年に実現することになったのは、その数年前に愛知県美術館から村田眞宏氏が『月映』の展覧会ができないだろうかと、作品調査のため和歌山まで当時学芸課長だった三木哲夫氏を訪ねて来られたのがきっかけだった。それまでに三木氏は機会を捉えて町田市立国際版画美術館やNHKきんきメディアプランに田中恭吉展について相談を持ちかけていた。まだ新しかった収蔵庫で田中の作品と資料が一括して保管されている状況を目にした村田氏は、あの僅かな時間でどのような思いを巡らせたのだろう?いつのまにか三木氏とのあいだで田中恭吉展をやりましょう、という話になっていた。マップケースに囲まれた通路での立ち話を私はすぐ横で聞いていたのだが学芸員が展覧会の相談をするのに、その実現性について互いがどれだけの責任と覚悟を持って口に出すものなのか、当時は何も分かっていなかった。

 展覧会開催のおよそ2年前に全体会議が開かれた時、三木氏は国立国際美術館へ既に異動、チーフとして寺口淳治氏が進行役を務めた。最初の会議でこんなに話が進むなんて、と出席した村田氏や高橋秀治氏が感心しておられたと翌日、別の出席者から聞いた。寺口氏も一世一代のプロジェクトになるという覚悟で臨んだことを、さらに後になって知った。

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展覧会場の様子(和歌山県立近代美術館)

 田中恭吉という作家の展覧会においてカタログが重要な意味を持つことは明らかだった。NHKの湯浅真紀氏からはプレゼン作品によって図録制作者を決定するという新しい手法の提案があり、湯浅氏が自らまとめた作品写真と仕様書を持っていくつもの編集会社に足を運んでくださった結果、杉浦博氏が率いるコギトでカタログを制作できることになった。キャプションの文字原稿を送ってから図版レイアウトが始まるまでのやりとりに2か月以上かけたのではなかったか。杉浦氏からの最初の質問は「キャンバスか?カンヴァスか?」というもので「へ?」としか答えられなかったのが懐かしい。レイアウトが始まるとページが増える一方だったが、私は楽しいだけだった(すいませんでした)。

 調査しうる限りの作品資料についてカードを作り、千枚を超えたところでそれらを床に並べた。大事な作品にまず印を付けよ、と寺口氏から付箋を渡された。すべての作業が一からで、まだ誰も見たことのない田中恭吉の作家像が形になっていくのは面白くてたまらなかった。

 そして展覧会の成功に自信を持ったが、その後自分が担当した展覧会は、同じようにやってもなかなか同じようにならなかった。私は与えられた場で踊りを踊っただけだったのだ。展覧会をやるというのは、そのようなものでは決してなく、場を作るところからやらねば本当にやったことにはならない、ということに気づいたのはそれから何年も後のことだった。

会期会場:2000年4月15日(土)〜5月21日(日) 和歌山県立近代美術館
本展は、町田市立国際版画美術館、愛知県美術館を巡回。

美連協ニュース136号(2017年11月号)より転載(※役職は掲載時)



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