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思い出の展覧会
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「麗しき前衛の時代 古賀春江と三岸好太郎」展
小泉淳一 茨城県近代美術館 美術課長
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「麗しき前衛の時代 古賀春江と三岸好太郎」展チラシ

 あまり後ろを振り返ることなどないたちなのだが、せっかくなのでこれまで担当した展覧会を数えてみるとざっと20本は超していた。8年ほど前、”長”の付くポジションに就いてからは、直接担当が持てなくなったから(このことが一番寂しいのである)、すべてそれ以前の仕事になる。その内、最初の10年間くらいに携わった展覧会では、ほとんど失敗やへまの連続で、思い出したくないことも多い。つまりは経験の浅さがもろに出ていたのだと思う。

 そうしてみると1996年、年齢にして39歳のときに開催した「古賀春江と三岸好太郎」展が、自分の中でひとつのメルクマールになっていたように思えてきた。その2年前に匠秀夫初代館長が亡くなっていたこともあり、大黒柱を失って、それぞれが
独り立ちする必要もあったはずである。

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5月27日のギャラリートーク

 この企画のアイデアは、自分自身の卒論と修論のテーマである2作家をとりあげたものだから、手前みそもいいところなのだが、大正から昭和初期の日本近代美術の展開の中でも、最も明るく輝く作品を残したのは、この二人だったのではないかと今でも思っているし、図録をめくってみれば、その”麗しさ”が気持ちよく伝わってくる。作家が作品を生みだすのは、もちろんそれぞれの個の力であることは間違いないが、時代が彼らの能力を呼び覚ましたというような見方も結果としてはあり得るのではなかろうか。この二者の活躍した、関東大震災からそれぞれの死の年、1933年と1934年までの約10年間は、それ以前の大正期とも、戦争のきな臭さが充満してくるその後の時期とも違う特殊な時代の空気、どこか軽薄なニュアンスもありながら単純に明るい未来を夢見ることができた希有な時代であったと思えるし、彼らの芸術が見事にそういった時代の空気を体現していたのだと考えたのである。

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展覧会図録表紙

 ところで、古賀の故郷は福岡県久留米市、三岸は北海道札幌市だから、この展覧会は何としても、福岡と札幌の美術館、すなわち、久留米の石橋美術館と道立三岸好太郎美術館とでタッグを組んで開催すべきと考え、それぞれの学芸員を誘って、3館巡回で開催すべく話がまとまりかけたが、最終的には三岸美術館が下りることになり、石橋との2館開催とあいなった。かなり落胆したことを記憶しているが、展覧会自体への協力は約束してくれたから、展覧会の構成は思うように進み、内容的にはかなり満足のいく企画になったと思う。それぞれの学芸員ともとても親しくなり、互いにお酒もいける口であったので、遠いのでそうそう会う機会もないけれども、会えば「まず一杯」というつきあいとなっている。

 この展覧会以後、いろいろな作家の個展やテーマ展を担当してきたけれども、この二人の作家の時代以前なのか、以後なのかということで時代の意識(近代的自我意識のあり方の問題)を考える癖が付いているような気がしている。中村彝や岸田劉生、前田寛治の企画のときと、麻生三郎、山口薫、香月泰男、熊谷守一の展覧会では、別な見方が必要になったということである。

会期:1996年5月18日(土)〜6月19日(水) 茨城県近代美術館
本展は、石橋美術館(現・久留米市美術館)を巡回

美連協ニュース133号(2017年2号)から転載(※役職は掲載時)



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