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二つの展覧会のこと
安井雄一郎 山口県立美術館副館長
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 昭和56年の「香月泰男−その造形と抒情の軌跡−」でスタートした学芸員人生。思い残しはないと思ってきた。それでも可能なら定年までにやっておきたいことがあった。
 河上左京、大二のふたりの水彩画家展と「環境芸術家」殿敷侃(とのしき・ただし)の展覧会である。

 私には志なかば、業なかばで終わった未完の作家としてずっと気になる存在だった。
 未完などと、ご遺族には失礼千万な言い方だろう。第一、芸術に完成などあろうはずがない。だから未完云々は明言せず、前者を一昨年の冬、後者を今年の6〜7月に開催した。
 河上左京、大二は、旧幕時代に岩国吉川家に仕えた河上家の分家すじから出た従兄弟どうし。マルクス経済学者の河上肇博士は左京の10歳年上の実兄である。本家からは文芸評論家の河上徹太郎が出ている。その徹太郎が、左京と大二の作風の対照性を、「左京さんの重厚な翳(かげ)り」、「大二さんの澄んだ明断(めいせき)さ」といった言葉で要約している。

 これをキーワードにふたりの画業を紹介した。ふたりの対照的作風の奥に、自らを律する厳しい自己抑制、さらにその強固な意思の淵源に、私は「士」のこころをみていた。
 左京には、日本水彩画会や二科会で活躍した時期があった。徹太郎の「左京さんの重厚な翳り」とは、その東京時代の一時期に集中して見られる青味の強い一連の静物画のイメージに由来する。このまま展開していくかと期待された矢先、京都帝大教授を辞した兄、肇が非合法活動で投獄。母を気遣った兄思いの弟は、妻子をともない岩国の実家に帰郷する。このとき左京44歳。帰郷後は中央画壇との接触を絶ち、地方画家となって81歳まで生きた。

 一方の大二は、東京美術学校の藤島武二教室に学んだ。ここまでは順調だった。だが卒業後、病を得て帰郷。山口県の徳山市(現周南市)に住んだ。
 徹太郎の「大二さんの澄んだ明晰さ」とは、この徳山での日常身辺を実に平明な写実で描いた一連の作品をさす。第8回帝展初入選で34歳という遅いデビューを遂げ、帝・文展に水彩作品を出品したが空襲で代表作を失うなどの不幸が重なり、大きな開花にまでいかず戦後まもなく55歳で早世した。

 ふたり展では、同族でありながらその根が対照的な作風として現われた彼等の作品が再び注目されることを願った。

 二つめの企画で取り上げた殿敷侃は、広島県生まれ。29歳で山口県長門市に移り住み、被爆体験を根底に据えながら、最初は画家、のちにインスタレーション作家として環境問題など現代文明のありようを問う作品を作りつづけた。一時「時の人」になったが、被爆に起因すると思われる肝臓ガンのため志なかばで死去。50歳だった。いまなら追い風だが、当時は行政などと対立。ために地方では仕事に相応する評価がなされたとは言いがたい一面も気になってきた理由の一つでもあった。

 少ない予算といままで蓄積した職能を集中させてこしらえたこの展覧会も、のこす会期1週間。オープン直後の達成感は、いまは別の思いに変わった。これからのことを思うのである。指定管理者制導入などで美術館新時代を迎えようとしているなか、いったいいつまでこのような学芸員本位の展覧会がつづけられるだろうか。

【会期】
「日本水彩画会の二人−河上左京と河上大二−」2006年12月27日〜2月25日
「殿敷侃−赤と黒の記憶−」2008年6月21日〜7月13日

美連協ニュース99号(2008年8月)より転載(※役職は掲載時)



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