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福井の文化的風土
松村忠祀 福井市美術館長
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≪かまきりとみみず≫
 当館で「墨」をテーマにして企画した際に描かれた作品です。墨の伝統にとらわれず、自由でゆったりした淡墨の魅力、筆の線質のてらいのない描きかたに、どこかピカソのようで、宗達の薄墨の世界を感ずる。北陸型の朝倉文化の蛇足的な墨への異端を観る。

 福井の文化は一般的に畿内文化と深くかかわってきたと考えられている。が、それ以前には、もっと古い時代の韓人たちによる日本海側の越前から、太平洋側の美濃を経て飛騨・尾張の東海地域へ大陸の新しい技術や文化を伝播していく地の利があった。その動脈となったのが、日本海側の九頭竜川と太平洋側の長良川との関係であった。

 ここの地の利は「海直」と呼ばれる日本海々域と九頭竜川や白山系の水域を掌握していた海民集団であったと考えられる

 越の白山の祭神は、朝鮮系の道氏で部下も多くの海民に支えられ、白山神の母体をなしていたと考えられている。それに能登・加賀は、古代の奈良時代ごろまでは、越前国であり、大和政権とは少し異質の北陸型の文化風土を創りだしていた地域でもあったと考えられる。

 この北陸型の文化風土に支えられて、白山信仰が修験道を中心に神楽、田楽、千秋万歳、声明、鉢叩、陰陽、自拍子などの芸能や音曲、呪文、説教、祭文、語り物文芸、幸若舞などの渤海や百済など、当時の大陸で行われていた風俗行事と一脈通じ合うものを遺存してきているように察しられる。

 即ち越前文化は、奈良・京都を中心とする畿内文化との領域で歴史は培われてきたが、その背後にある九頭竜川と長良川の地の利が培った北陸型の文化的風土は、その後の日本美術文化の土壌に、ある時は異端の系譜を創出してきた。

 道元は、越前の地で風花雪月の宇宙と出合い、「現成公案」、「仏性」「渓声山色」などの思想を創意す。即ち『正法眼蔵』の世界である。道元の「正法眼蔵」の思想は、その後の日本中世芸能文化に、特に観阿弥、世阿弥の能などの世界に深く関わっていった。

 白山系の猿楽、田楽が用いる仮面では越前出目・大野出目の名工を生み、同時に朝倉文化の北陽と称された文化の城下町では、中国、朝鮮などの陶磁器やイタリアのヴェネツィア産のグラスなどを愛用した文人たちの趣向、そして曲水宴の催し、室町水墨画の異端の絵師曾我派を輩出させた。この朝倉文化の背景には、奇行で知られる禅僧の一休宗純や、同朋衆、阿弥派との深い関わりがあった。

 朝倉文化が滅び、北ノ庄城下が現福井市周辺に築かれると、南蛮文化に目覚め世界図・日本国屏風、風俗図屏風などの西洋の異国に関心を寄せた。その一人に越前国主松平忠直公の存在がある。それに初期風俗絵師岩佐又兵衛の福井時代があった。更に福井藩士を父に文楽人形の近松門左衛門を世にだす。

 近代の先覚者岡倉天心は、元の家系が朝倉氏の出であった。天心は、『茶の本』を著したが、その目的は茶人に対してではなく、西洋科学文明による植民地化を危倶し、世の識者に問うたのである。

 その西洋文明の「近代化」に対し、天心は、知人の民俗学者南方熊楠の東洋的人間の自然の生態系の保護思想こそ大切であるとする天心独自の老荘的考え方を軸に世界の「近代」化を問うた。即ち文明ではなく文化こそ「近代」の理想であると『茶の本』で説いた。そして天心は茶聖利休の「山ヲ谷、西ヲ東卜茶の湯ノ法ヲ破リ、自由セラレテ面白シ。」と山上宗二に説いた。が、そこにこそ「近代」という美の創造の命がある。異端の風も吹く。北荘北美運動、小野忠弘、三上誠などの美学も刻まれた。

美連協ニュース96号(2007年11月)より転載(※役職は掲載時)



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