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琵琶湖でスタート“学芸員稼業”40年
石丸正運 砺波市美術館長
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保育所、幼稚園、小学生を対象とした「子供の造形アトリエ」ワークショップ

 今年で私の学芸員稼業も四十年となる。一九六五年(昭和四十)四月に滋賀県立琵琶湖文化館に研究職、学芸員で勤めたのが最初である。当時滋賀県下で学芸員の職名で勤務していた者は一人であった。それから現在の砺波市美術館までに携わってきた美術館のそれぞれの役割を検証してみると四十年間に市民が期待する美術館像の変遷が見えてくるように思う。

 まず、滋賀県立琵琶湖文化館、一九六一年に開館した博物館施設であるが、展示形態は古美術というか文化財を主に展示する美術館であった。滋賀県にはかつて秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城など琵琶湖上に浮かぶ城があった。そのイメージを生かして建設されたのが琵琶湖文化館である。琵琶湖中に設けられたもので、水中和城様式、六階三層鉄骨鉄筋コンクリート造。総高四一・五メートル(湖上)、総面積四、七九三平方メートルで、本館は六階造。上から展望閣、博物館、博物館、文化財受託庫、水族館、屋内プール。別館は三階造。集会室、美術館、美術館。本館と別館を空中で結ぶ連絡館は二層で上がギャラリー、下が食堂からなる。開館後、新幹線、名神高速道が通る。六〇年代はそんな時代であった。琵琶湖文化館は総合博物館で、何でもあり、湖国観光の拠点でもあった。ここで十五年を過ごし、一九八〇年(昭和五十五)四月からは県教育委員会事務局文化部文化振興課で机を一つもらって、滋賀県立美術館開設の仕事を始める。翌年には県立美術館開設準備室が設置され、性格を近代美術館とする。構造的にはRC地下一階地上二階とし、延べ面積は八、五〇〇平方メートル程度とし、所蔵品収集の方針は郷土美術、院展系の日本画、現代美術(アメリカ抽象表現主義の作品を中心に)の三本とすることなどが決められた。一九八四年(昭和五十九)八月に開館。開設準備室を設けてから十ケ月の養生期間を入れて、三年五ケ月で開館を迎えたことになる。開館に際しては琵琶湖文化館で収集されていた郷土美術の中から近代美術作品八十五点の主要作品を管理換として所蔵品に加えることとした。総合博物館としての琵琶湖文化館での美術作品の在り方から見れば、滋賀県立近代美術館の美術作品は機能面でも随分明確となり範囲も限定されている。それが八〇年代の美術館の方向性を示しているともいえる。

 近代美術館で定年まで十八年を過ごし、一九九八年(平成十)四月からは砺波市美術館の運営に携わっている。

 砺波市は富山県の西端近くにある人口四万強の田園都市である。散居村とチューリップ開花期の景観でよく知られている。私は高校までここで生まれ育った者である。一九九三年(平成五)五月に砺波市美術館(仮称)基本構想委員として参画した縁による。

 市美術館はRC鉄筋構造で三階建、延床面積は三、三六五平方メートルである。その特色とするところは一〇六平方メートルのアトリエを設け「子どもの造形アトリエ」を実施していることである。

 砺波市内には小学校一、二年、幼稚園、保育所の年長組でだいたい四十五クラス前後ある。

 それぞれのクラス単位で美術館を訪れ(スクールバス、時には福祉バスで送迎する)、アトリエで造形活動を行う。クラス全員で学校では作れない様な大きな作品に挑戦する。アトリエに入る前、学芸員のギャラリートークにより展示室で作品の鑑賞を行う。「子どもの造形アトリエ」は(1)美術館探検とギャラリートーク、(2)アトリエでのワークショップがそのメニューである。(1)と(2)で二時間弱の活動である。ワークショップのプログラムは九つほどで、「ペッタン・ペッタン大きな絵!」もその一つ。これまで延べ八千人の子供達が受講している。

 市内の当該の児童全員が参加していることが私共の自慢でもある。小さな市の美術館だから可能な美術館教育といえる。出来れば年齢の各層に造形アトリエを広げて行きたい。それが今日美術館に求められている機能でもあると思う。

美連協ニュース82号(2004年5月)から転載 (※役職は掲載時)



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