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地域の美術館こそ世界に開かれた窓
鈴木正實 北海道立近代美術館学芸副館長

 二年ほど前から美術史というものに興味が薄れ、歴史を織りなす勝者だけではなく、名の埋もれた敗者も、そして自らも含めて「人間についてわかる学問」をしてみたいと思うようになった。そうしたことをある文芸評論家に話したら、しばらくして彼は私にメルロ=ポンティの『眼と精神』を贈ってくれた。ところがこの思想家については、かつて「セザンヌ論」を一度読んだきり。結局わかるところとわからないところが斑のようであり、それを氏に伝えたら彼は親切にも木田元の『反哲学史』を読むことを勧めてくれた。

 かくして私は美術の本をそっちのけに哲学関係の本を読みふけるようになったわけだが、たしかにそれらは面白い、だが今ひとつピンとこないのである。思想の大海に小舟を漕ぎ出したのはいいが、接岸すべき島がまるで見えてこないという感じ。これは困ったことになったと思ったが、やがて美術こそ、とりわけ北海道のそれこそが観念に対置すべき現実であることに気づいた。ちょうど神田日勝という農業をしながら特異な絵を描いた画家についての本を二十年ぶりに書き下ろすことになり、改めて彼が画家として生きた一九六〇年代に焦点をあてて、美術表現とその背後にある思想について考えてみることになった。以下はその概略。

 まず、これは正直言って楽しい作業であった。なぜならこの時代というのは、私の思春期から大人へと移行した時代でもあり、また美術に開眼した時期とも重なる。思い返せば人知れず「性的存在としての身体」に悩み、また大衆社会の鬱積された抑圧感のただなかで右往左往し、また一方では社会の進歩に自分の成長を重ね合わせ、自分の存在もどんどん拡大、拡張していったように感じる、その出発点のような時代でもあったからである。

 この六十年代の美術といえば、なんといってもアンフォルメル運動だが、明治も末になってようやく美術の黎明期を迎えた北海道でも「アンフォルメル旋風」は吹き荒れた。それでは思想はどうかというと、これはもう実存主義につきる。サルトルの来日は記憶のなかで古びてはいない。この両者の関連については、その後私の知るところとなったが、今ひとつ納得のいかないところがあった。実存的な生の不条理性の凝視ということなら、日勝や彼と同時代の具象に徹した地元の画家たちの作品こそが私のイメージにぴったりくるものであった。ましてアンフォルメルの源流をフォートリエに置くという見方には首を傾げざるを得なかった。彼自身もそれには懐疑的であった。

 先の具象作家の多くも、その時代にふさわしい思想を必要とした。それはサルトルではなく、カミュであり、彼の『シジフォスの神話』であった。たとえば来年度、私どもの美術館で展覧会を予定している米谷雄平は、近代の人間の主体性をこれによって学び、人間としての赤裸々な自己の姿を凝視しながら創作した。一方、アンフォルメルにも尽きぬ興味を抱いた私は、あるときマチューの「意志は、芸術の死だ」、あるいはサム・フランシスの「あらゆる行為は一切の意図を排除したとき、はじめて真の性格が明らかになる」という一文に触れ、そこにサルトルを発見した。意志・意図とは本質と同義であり、サルトルいうところの「実存は本質に先立つ」との結びつきが理屈ではなく、まさに身体的にストンと了解できた。ところが、この意図の排除はまた同時に、フォートリエが(人質)で厚いマチエールのなかに印した人間の苦悩や絶望感をも排除してしまったわけであり、むしろそれは、自身をパトス的存在として認識しつつ生を重ねた日勝や米谷など六十年代のシジフォスたちが継いだというべきではなかろうか、という結論に達した次第である。

 美術館連絡協議会に加盟の各公立美術館は、それぞれが依拠する地域の美術を研究のテーマの一つに掲げていることだろうと思うが、今や私にとっては地域の美術こそが世界に向かって開かれた窓なのである。さてこれから七十年代以降についても調べてみようか。

美連協ニュース81号(2004年2月)から転載 (※役職は掲載時)



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