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楽しかった日仏交換展の思い出
酒井哲朗 福島県立美術館長
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好評だった国安孝昌のインスタレーション

 美連協企画の中で楽しかったのは、一九九七年にフランスの彫刻家シャルル・デスピオの生まれ故郷であるモン・ド・マルサン市のデスピオ/ウレリック美術館で開かれた「日本の具象彫刻10人」展と、同年から翌年にかけて日本を巡回した「シャルル・デスピオ」展の交換展である。

 事の始まりは、「アフリカ彫刻展」の時に、当時の美連協事務局長森本成治さんと宮城県美術館の三上満良学芸員らがたまたまこの美術館を訪れたのがきっかけだったと記憶する。

 「日本の具象彫刻10人」は、本郷新、柳原義達、佐藤忠良、舟越保武らロダン以後の具象彫刻をめざし、デスピオの影響を受けた十人の彫刻家で、この展覧会に併せて、遠藤利克、戸谷成雄、土屋公雄、国安孝昌ら現代の精鋭七人が市内各所で野外インスタレーションを展開し、その斬新な表現によって強い印象を与えた。初日はシャトルバス五台が会場を往復してお客を運び、街中に漢字で彫刻と書かれた小旗が掲げられ、日本一色に染まった。

 オープニングには、当時のフランス大使松浦晃一郎(現ユネスコ事務局長)夫妻が出席し、会場を熱心に見て回り、作家たちと懇談していた。三重県立美術館友の会を主力に、東京、仙台からのツアー客も参加した。前日の夕刻にモン・ド・マルサンに到着予定だったが、パリとボルドーの間の飛行機が国内ストのため欠航し、急遽新幹線(TGV)とバスに切り換え、着いたのは夜中過ぎ、ホテルでフィリップ・カマン館長の出迎えを受け たが、まだ展示作業が終わっていないということだった。

 正確な時刻は忘れたが、初日の開始時間が早くて慌てたのを憶えている。野外彫刻展の関係者としてピエール・レスタニーが出席しており、昼の会食の時に、「フランスの田舎をどう思うか」と聞 かれた。ランド県モン・ド・マルサン市はまさしくフランスの田舎なのである。市の人口約三万人、ランド松と呼ばれる松の植生が分布し、主産業は木工、アルマニヤック(ブランディー)の産地でもある。ガスコーニュ地方に属する。

 ガスコーニュといえば、思い出すのはエドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』。ガスコンは大言壮語の代名詞でもあるが、カマン館長の熱心な努力によって、企画は見事に実行された。確か『三銃士』のダルタニアンもガスコーニュ地方の出身のはずだ。

 ボルドー空港で売っているスポーツ新聞の一面を大きく飾るのはサッカーではなく、ラグビーの記事であった。華麗なシャンパン・ラグビーの担い手は、「南の伊達者」銃士たちの末裔だったのだ。一ラグビー愛好家として、妙なところで納得した。

 夜は教会でパリ在住のピアニスト菅野潤さんのコンサートがあり、菅野さんが演奏から司会進行までひとりで全部やって下さった。ミラノから彫刻家の吾妻兼治郎さん一家が加わった。吾妻さんには「アフリカ彫刻展」で大変お世話になった。翌日、ツアーの人たちは南仏へ、私はウィーンヘと向かったが、慌ただしく、賑やかで、楽しい思い出となった。

美連協ニュース78号(2003年5月)から転載 (※役職は掲載時)



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