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まっぴゃく歳の思い出
平櫛田中翁を訪ねた日
加藤貞雄 茨城県近代美術館長

 彫刻家・平櫛田中翁の没年齢百七歳は、断然、芸術家の長寿世界最高記録である。世を去る直前まで制作していたのだから、まごうことなく現役作家だった。まさに超人のわざであり、この記録はたやすく破られはしまい。その田中翁が満百歳を前にして、あと三十年制作に使える量の木材を購入した話は、田中翁を語る時、必ずといっていいほどついてまわるエピソードだ。

 その時、私は満百歳の田中翁訪問記を書くべく、東京・国立に平櫛邸を訪れた。一九七一年十二月二十五日の昼下がり、茶の間の炬達に招じられて、ほとんど田中翁の独演を聞くようなインタビューだった。田中翁は耳が遠いので、こちらの問いは意に介さず、次から次に、大声で言葉が口をついて出るのである。話しながら、炬達の上にうずたかく積まれた色紙に、片っ端しから揮毫する手を休めなかった。話のすべて、動作のはしばしが実に魅力的で、翁の体力消耗を気にしながら、私は話に聞き入ったものだ。

 あと三十年分の木材の件りはこうだ。田中翁は実に健康で、主治医が「先生の身体は七十歳」と太鼓判を押した。喜んだ田中翁は「それなら百歳までまだ三十年生きられる」と考えた。早速、木場の材木問屋に出向いて、どっさり買い込んだというのである。庭の一隅にその大量の木材が置かれていた。この時、田中翁が色紙に書いていたのが、有名な「六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から」というざれ歌である。

 筆の上の端を持って、ちょんちょんと書くのだが、その早いこと。みるみるうちに色紙の山が低くなっていく。一瞬のためらいもなく、字配りも文字もコピーのように同じ色紙があっという間に出来るその正確な反復に私は舌を巻いた。二点彫った、寸分違わぬと見える二点の「烏有先生」の高さを三分だけ違えたという田中翁の木彫の精密さに通じる名人芸を、私は見る思いがした。どの色紙にも、田中翁は百才倬太郎(田中翁の本名)と記し、その後に「わしもこれから」と書き加えた。実は田中翁は、前の年、つまり九十九歳の白寿の色紙に百才と書いていた。「わしもこれから」には、今度は正真正銘の百歳だという思いがこもっている。辛亥の年記の入ったこの百才を「まっぴゃくさいと読む」といいながら差し出された一枚を、私はありがたく頂戴した。

 この百翁、アトリエで、ほとんど完成した高さ八十センチほどの老婦人の粘土像を見せてくれた。さる有名な菓子舗のご隠居で、八十八歳の米寿の記念に、家人から人を介して依頼されたものだった。和服姿でちょこんと正座している座像である。「婆さんなんて興味ないから断わった」けれど、引き合わされて会ってみたら「この婆さん、八十八というのに色気がある。それが面白いから作ってやる気になった」と田中翁。百歳の爺さまが、八十八の婆さまの色気に制作意欲を起こしたという打ち明け話に田中翁の生命力を感じながら、私は心うれしくなっていた。

 美連協で巡回中の「高村光雲とその時代展」─木彫─平櫛田中と連想して、田中翁の色紙に至り、つい追憶のエピソードを綴ったが、田中翁のインタビューは、以後、行われていない。

美連協ニュース74号(2002年5月)から転載 (※役職は掲載時)



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