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美術館連絡協議会と私
福永 治 広島市現代美術館長
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広島市現代美術館 外観

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「コレクション展」風景(撮影:元 圭一)

 全くの偶然だが、美術館連絡協議会が発足した1982年に、私の学芸員人生は始まった。その頃の私は、呉市立美術館の一人学芸員として右往左往する毎日だった。以来、呉で10年、次いで広島市現代美術館で5年半、東京都現代美術館で4年半、国立新美術館時代の10年を除いて再び広島での3年を加え、20余年を美連協の加盟館で過ごさせて頂いた。始まりの呉市美は、創立時の加盟館ではなかったが、割合に早く加わり、おおよそ年に一度のペースで展覧会に手を上げ、次第に活動は美連協抜きに考えられなくなった。

 忘れられない思い出がある。1990年に呉で立ち上がり、三重県立美術館、茨城県近代美術館へと巡回した「高村光太郎・智恵子−その造形世界」展である。企画した茨城の小泉淳一さんを中心に、三重(当時)の山口泰弘さんと私、同世代の3人が取り組んだ展覧会だったが、三重での展示作業を終えようかという時に、故・陰里鉄郎館長から展示などについて厳しい指導を受けた。いや、指導というより叱責と言って良いものだった。開幕を控えた高揚感から一転して意気消沈した私達だったが、他館の館長、しかも尊敬する先輩からこっぴどく叱られた経験は、後にも先にもこの一度きりである。その時に指摘されたことは、今でも私の中に残っていて、時々思い出しては自戒の材料とさせて頂いている。

 一方、1988年に海外派遣研修者の一人に選ばれ、3か月間、ヨーロッパで過ごしたことは、学芸員としての視野を広げる機会となった。当時の地方公立美術館の学芸員にとって、日頃の職務を離れ、海外で研修を受けること自体が夢のようなことで、おそらく美連協の制度が無ければ実現しなかったものと思う。応募に先立って呉市美で企画した二つの陶芸展の成果から、「バーナード・リーチと英国陶芸」というテーマでイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館で6週間、そして後半は、国際陶芸アカデミー本部のあったスイスのアリアナ美術館などで「海外に所蔵された日本の現代陶芸」について、調査する機会を与えられたのである。未だ駆け出しの30代前半に、中身の濃い充実した時間を過ごさせて頂いたが、折々に訪ねた美術館の在り様にも、心打たれるものがあった。それは大英やテート、ルーブルといった著名な博物館ではなく、地方都市の小さな美術館、例えばセント・アイヴスのヘップワース美術館、グラスゴーのマッキントッシュ・ハウス、さらにはバースの素朴派美術館などの、日常生活に溶け込み、地域の人々に大切にされている姿だった。またスコットランド現代美術館やベルン市立美術館、チューリッヒ美術館などのコレクションには、旅先で思わぬ拾い物をしたような、幸せな気持ちにさせてもらった。

 共に25年以上も前のことである。この春、私と同年の学芸員は60歳の定年を迎える。私が現場にいるのもそう長くはないだろう。とても陰里先生のようには振る舞えないが、残された時間の中で何か伝えていけないか。またヨーロッパで感じたように、当館が市民に愛され、地域になくてはならない存在になると共に、被爆地ヒロシマを訪ねる人々の心に残る美術館でもありたい・・・・。美連協との関わりを思い出しながら考えたことである。

美連協ニュース130号(2016年5月号)より転載(※役職は掲載時)



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