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偶然と必然の間
松田 弘 呉市立美術館長
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世界遺産「原爆ドーム」(筆者撮影)

 人生も60年を過ぎると、いろいろなことを経験することになります。

 私は広島市の高校を卒業して、東京の大学に進学しました。その後、東京23区の世田谷区役所に勤めた後、縁あって広島県立美術館の学芸員になりました。

 2010年には、被爆65年、原爆ドームの前身である広島県産業奨励館が開館して95年の年に、「廣島から広島 ドームが見つめ続けた街展」を開催しました。戦前のモダン都市「廣島」から被爆、戦後の「広島」の復興をテーマにしたものでした。

 この展覧会は、広島にある某放送局の事業担当A氏と共に、関連イベントも含め全体を作っていきました。このA氏が初めて広島県立美術館を訪れ、私と名刺交換をした時、「父がよろしくと言っていました」と挨拶されました。A氏と同じ苗字のA氏で私が知っているのはただ一人、世田谷美術館におられたA氏でした。そのA氏とは私が世田谷区役所の文化課時代に面識を得ていました。そのご子息と一緒に展覧会をすることになるとは・・・。

 この展覧会は展示作品も関連イベントも地元の各方面のご協力を得ました。例えば、以前バウハウス展でご協力いただいた呉工業高等専門学校のT先生には、広島県産業奨励館の10分の1の模型を製作していただきました。

 また、日本郵便の協力を得て、広島県産業奨励館の戦前の住所「猿楽町15番地」を復活させ、ここに専用の郵便受けを設置し、全国から寄せられた平和のメッセージを配達してもらいました。

 世界遺産・原爆ドームのすぐ前に流れている元安川の川岸には、原爆ドームが被爆した時、爆風で吹き飛ばされたバルコニーの石柱が埋まっていて、干潮時にはその一部が露出していました。これを地元の本川小学校の児童たちと市民の手で引き揚げました。

 さて、ここからがさらに不思議な縁を感じさせる話になります。この展覧会は前述のとおり多くの関連イベントを実施したこともあり、A氏にはB氏、私にはC氏ともう一人の学芸員が副担当としてつきました。このB氏とC氏は、なんと誕生日が同じで、広島に原爆が落とされた8月6日生まれだったのです。

 この展覧会では広島平和記念資料館から被爆資料をお借りしました。資料館のK学芸員には戦前の広島県産業奨励館で開催された展示会の記録を発掘していただきました。産業奨励館の設計者ヤン・レツルの資料展示にも大きなご協力をいただきました。まさに美術館と博物館の連携ですが、この平和記念資料館が開館した日は、実は、私が生まれた日だったのです。(本当です。)

 かつ、私と私の両親は島根県の松江市で生まれ、出自的には私は広島市とは何の関係もありませんでした。にもかかわらず、私の名前を欧米の人名のようにファーストネームから表記すると、「ヒロシ・マツダ」となり、名前の中に「ヒロシマ」が入っています。

 なんだか都市伝説めいてきましたが、これらは全くの偶然なのか、そこには何らかの必然があったのか。私は最近、人生に偶然は意外に少ないようにも思いますが、いかがでしょう。

美連協ニュース129号(2016年2月号)より転載(※役職は掲載時)



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