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ポスト団塊世代の館長職 事始め
染谷滋 群馬県立館林美術館館長
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バリー・フラナガンの彫刻と富士山

 前号の下関市立美術館濱本氏同様、私も昨年4月に館長職を命じられた新米館長である。1981年に開館8年目の群馬県立近代美術館に就職、気が付くと学芸員として28年間が過ぎ、一昨年4月館林美術館に異動することになった。当館は群馬県立の2館目の美術館として2001年にオープン、今年は十周年を迎える館であるが、昨年、思いもかけない常勤館長を務めることになってしまった。

 「なってしまった」もあるまいが、県の人員削減でそれまであった事務系の副館長職を廃止し、私が抜けた学芸員の枠は補填されないままとなったので、私は館長の重責と副館長の事務仕事と足りない学芸員の現場作業とを一人三役で引き受ける羽目に陥ったのだ。高橋-一率いる第一工房の設計になる館林美術館には、採光の美しい気持良い館長室が用意されているにもかかわらず、私はほとんどその部屋にはいられない。定位置は前副館長が居た事務室の机。加えて学芸員室の元の机も私の席として残されている。

 館長になって驚いたことは、毎日のように押印する書類の多さだ。これは元々副館長の決裁事務だったものだが、数々の起案の決裁はもとより、支出回議書、物品購入回議書、調定回議書、契約締結書類などなど、切手1枚の管理から何千万円の契約書まで、毎日のようにハンコを押す作業は空恐ろしいものがある。書類に記された自分の名前が、まるで別人のような感覚に襲われる。

 気が付くと、私のように定年間近で常勤館長になっている学芸仲間が増えてきている。いずれも1950年代前半に生まれたポスト団塊世代。やたら元気な全共闘世代と、しらけ世代の後輩たちに挟まれて、いつまでも中間管理職の立場に身を置いている世代だ。

 予算もなく人手もなく、文化事業が仕分けの対象としか見られない厳しい時代に、我々の世代の館長職は、未来に向かってどんな夢を描けるのだろうか。そんなことを考えながら、三つの机を動き回る多忙な日常である。

 さて、館林美術館の自慢は、何と言っても周囲の自然環境と調和した建物の美しさにある。近くにある多々良沼には、毎年百羽以上の白鳥がシベリアから飛来し、冬の空気が澄んだ日には遠く富士山を望むことができる。夕陽の美しさは感動的で、館林に来てから夕焼け空を見上げる時間が増えた。

 コレクションの目玉は、フランスの動物彫刻家フランソワ・ポンポンの作品群だ。オルセー美術館にも展示されている大理石の白クマの小さなサイズのものを当館も所蔵し人気がある。ロダンの弟子だったポンポンは、日本ではまだ知名度が低いが、近い将来必ず注目される作家だと信じている。そのときには、ポンポンの資料を大量に所蔵する当館の価値は飛躍的に上がるに違いない。そのときまでに、地道に作品と資料の調査を進めておくこと、つまりは次世代にしっかりとバトンを渡すことこそが、館長としての役割だと思っている。

美連協ニュース109号(2011年2月号)より転載(※役職は掲載時)



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