読売新聞へようこそ■イベント
美術館連絡協議会 美連協について English 美術館連絡協議会
-
リレーエッセイ
バックナンバー
バロック的たらんとしつつも
芳賀徹 岡崎市美術博物館長
picture
岡崎市美術博物館外観

 私が岡崎市美術博物館の館長となったのは1998年の春のこと、もう11年も前となる。それまでは三河の国とも岡崎市とも何の因縁もなかった。

 そのような私を岡崎市に招いてくれたのは、1996年の美博開館当時からの市長さんだった。この市長N氏は、それこそ野生的で、戦前の少年時代には矢作川上流の谷でよく小粒の山椴魚を掬っては生で呑み込んだものだ、などと自慢する面白い人だったが、またなかなかのヴィジョンの力の持ち主でもあった。

 岡崎は徳川家康の出生の地、家康は当時としては世界大の視野を擁していた人、そしてその16〜17世紀の交は日本もヨーロッパもバロックの時代。新設の美術博物館は、その家康の精神を生かして比較文化史的構想のもとに美術と歴史の展示を行おう、というのがN市長の野望であった。

 それで恐らく、比較文化史専門を自称していたというだけで、にわかに私がリクルートされたものらしい。だが私は、この前市長のヴィジョンに大いに共鳴し、美術博物館の館長という憧れの職を思いがけず与えられたことを、素直に喜んだ。

 ところがバロック芸術とは、音楽は別として、美術ではレンブラントかベラスケスかエル・グレコでもなければ、日本人にはちっとも面白くない。彼らの作品は購入はもちろん不可能だし、海外から借りてくることさえ無理である。バロック的構想はたちまちしぼまざるをえなかった。

 2001年々末にイタリアからカラヴァッジョの大作群が日本に来て、東京の庭園美術館と岡崎のわれらの館だけがその展示場に選ばれて、わが館では2か月の期間中に4万人余という記録的な数の入場者があった、というのが、これまでのところ唯一の本物のバロック絵画の展覧会であった。

 それにわが館は岡崎市のはずれの丘陵の中にあり、足の便が悪い上に、常設展用の別館が予定されながらも、いつ建設されるか、当分は目途さえ立っていない。

 だから副館長を含めて6名ほどの学芸員は、まさに自転車操業で、シュルレアリスムから石山寺に至る、美術・歴史両分野での自主・他主の企画展と収蔵展を常時回転させねばならない。小学生中学生まで広げた観客動員にも大わらわである。

 だが、これは多くの地方公立美博に現下共通の宿命でもある。市への予算充実の要求は続けながらも、私たちも生の山板魚でも呑みながら頑張る以外にない。市内・地域内でもっとも活発な知的文化的活動の拠点としての誇りと責任をもって、非常勤館長としての私は、学芸・事務のスタッフを激励し、少なくともバロック的活気を館内に維持することにつとめなければならない。

 いつかは現代のバロックとしてのアンフォルメルの大回顧展や、東西比較文化としての「桃源郷とユートピア」展を催す夢を、彼らと語りつづけながら――。

美連協ニュース101号(2009年2月)より転載(※役職は掲載時)



-
美術館連絡協議会 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1 読売新聞東京本社事業局 TEL.03-3216-8664 FAX.03-3216-8978