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非常時における美術館
早川博明 福島県立美術館長
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会(2015年11月14日)

 一年前の2015年11月13日、あの同時多発テロ事件が起きた時、ちょうどパリ市内に滞在していた。勿論、死者130名、負傷者300名以上という未曾有の事件に巻き込まれることはなかったが、事態を知ったときは、経験したことのない不安と戦慄が全身を走ったのを今でも忘れない。

 そもそもパリ滞在は、わが県立美術館友の会の有志とご一緒して、パリの美術館を巡る研修旅行に来たのが主旨である。最高齢80才を含めた約20名の一行と共に、ルーヴル美術館、ポンピドゥー・センター、オルセー美術館などの主要な美術館を見学して回る楽しい入門編・美術鑑賞旅行のはずであった。ところが事件は滞在3日目の金曜日の夜に起こり、翌日からは悪夢の研修旅行となったことは言うまでもない。土曜の早朝からホテルのロビーは、パリ観光をキャンセルして足止めを食わされた大勢の諸外国人でざわめいていた。政府による非常事態宣言の影響で外出自粛となり、
我々は行き場を失った哀れな観光客と
なってしまったのだ。

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マドレーヌ寺院(同上11月15日)

 世界に冠たる大ルーヴル美術館なら、あわれな美術愛好者を温かく迎え入れてくれるかも知れない。誰かが冗談ぽく言いかけたのも空しく、パリ市内のルーヴルを含む美術館、観光施設はすべてが無期限の休館だという知らせが直ちに届いた。さらに、土曜日にもかかわらず日中のパリ市内は人通りがほとんど消え、自動車さえも数十分に1台くらいが走るのを見かける有様である。さすがにテロの恐怖がパリ市内全体を覆い尽くしてしまったようだ。極めつけは、仏首相が当日の国民議会で「フランスはテロリストとの戦争に突入した」と演説したことだ。全面戦争ではないにしても、このような安全の保障がない状態では、美術館のみならずレストランや商店などの都市生活の主な施設が休業になるのは仕方がないだろう。そう諦めながらも、一行とは別行動をとり、恐る恐る市内を散策してみた。すると思いがけず、想像外の別世界に遭遇したのである。

 それは聖なる祈りの場、教会であった。小さな扉から少しずつ人が出入りするその教会は、あの名だたる古刹サン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。厳かな静寂が澄み渡った聖なる空間の内部には、夥しい数の人々が椅子にすわり、おそらく犠牲者へ追悼の祈りを静かに捧げていた。当方はその件に深く共感しながら、内部の壁面に描かれた古い聖画像や聖者の彫像を見上げ、図らずも美術鑑賞と信仰が本来的に一致する状況を体験できたような気がした。それからは、再開の兆しが見えない本来の美術館を尻目に、パリ市内の寺院や教会を集中的に訪ね歩いた。それは極めて特殊な状況下における一つの美術鑑賞でもあった。

 我が身を振り返れば、非常事態宣言はないが、復興を目指して様々な困難に立ち向かう静かな戦争状態にある福島県も、ある意味で非常時にある。この地域の美術館は全て開館し活動しているが、パリの教会や寺院で感じたごとく、人々の傷ついた心をどのように癒やしたらよいか、目下そのことに心を砕かない美術館は皆無だろう。

美連協ニュース133号(2017年2月号)より転載(※役職は掲載時)



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