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第35回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

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第35回入賞作品

<中高生の部> 最優秀賞

先生の不思議な言葉とその力

小屋敷 愛里(こやしき あいり)(15)愛媛県

私が生まれたばかりに母は重い病気を背負ってしまいました。保育園から小学生と私は母のせいで暗く悲しい日々を送ることになります。

父の仕事で島での生活が始まりました。日振島から宇和島市までは船で1時間くらいの距離ですが、海が台風などで大荒れになることもあります。

ある日母は突然の腹痛と出血を起こし、大時化(しけ)の中運ばれた病院で最初の子を流産しました。それから私が母のお腹(なか)にできましたが喜びと同時にこの子に何かあったらと出産まで不安な日々を過ごしたそうです。

私が生まれた時、母は無気力で「産後うつ病」と診断されました。母は出産2か月前に用心をとり宇和島市の祖母宅で出産に備えていました。祖母はとても優しい人で母の世話をしてくれ私の誕生を楽しみにしてくれていたそうです。でも私が生まれる5日前に倒れ、私が生まれると入れ替わるように亡くなりました。母は出産と悲しいことが重なり家事などが手につかなくなったのです。私はすぐに伯母が面倒をみてくれました。母はその時「周りの人は同じことを乗り越えているのに何で私はこうなったんだろう」と考え込み、さらに落ち込んだそうです。薬のおかげで落ち着いたそうですが母はそのうちお酒を飲むようになり、日々量が増えました。「アルコール依存症」と診断されたのは私が小学1年生の頃です。母は入退院を繰り返し、家にいる時はお酒を飲んで寝ていました。私はそんな母の姿を見るのが本当に嫌でした。

私が小学3年生の時のことです。その日は運動会で母も行くことになり、父は私たちのために深夜から弁当を作ってくれました。母が父に「ありがとう」と言ったのを聞いて私はとても嬉(うれ)しくなりました。昼休み、私は父の所に走っていくと

「お母さんの気分が悪くなり家に送ってきた」と父。当然そこに母の姿はありません。私はその時悔しくて悲しくて涙をこらえるのが精いっぱいでした。母は我慢できずお酒を飲んでいたのです。「あんな母親なんかいらない」。私は本気で思うようになりました。それからも母のことでは嫌なことばかり続く小学校生活でした。やがて私は中学生になり離島して宇和島市の中学校に入学しました。

その年の夏休み、母が入院しているU病院の主治医から母の退院の日、私も病院に来てほしいと連絡がありました。私は断りたかったけれど父に半ば強制的に連れていかれました。

「お母さん、娘さんのためにしっかりしなさい」「もっと母親らしいことをしなさい」

待合室で順番を待つ間、私が想像した先生の言葉です。これくらい言ってもらえば今の私の心も晴れるのにと思っていました。やがて母がいる診察室に呼ばれました。初対面のW院長先生は笑顔で私に接してくださいましたが、私には信じられないことを言われたのです。

「お嬢さん、お母さんはとても頑張っていますよ」

私は心の中で叫びました。「母は何も頑張っていない」「何もしないのに」。その言葉が頭の中をクルクルと回りました。

そして最後に先生はおっしゃいました。

「お母さんは必ず立ち直ります」

「でもそれには家族の力が必要なんです」

「お嬢さんの力が必要なんです」

家に帰り私は今日までのことを考えました。母を避け何年も会話がないことをです。これまで仲良くしたいことは何百回も考えました。でも母を前にするといつも逃げていたのです。その時父が来て母の部屋を指さしました。

「無理にとは言わないけど…」

私は決心しました。母の部屋に入ると母は私を待っていたようでした。母は私が生まれてこれまでのことをたくさん話してくれました。そして私がお腹にいた時体調を崩しながらも必死に私を守ってくれたことを知りました。

「今日までごめんね、お酒やめるね」

今の私にはその言葉が全てでした。

今まで何度も失敗しているけれど、今度は母を信じようと心から思いました。そこには昼の先生の言葉があったからです。先生の言葉はとても不思議な力があり私はたくさん考えさせられました。

あの日から2年余りが過ぎました。今では私は母の悪いところばかり見ず、母の病気のことを考えられるようになりました。母は10年以上かかりましたが、病気を治すには遠回りも近道も無いことを知りました。そこには身近な人の理解と思いやりが絶対に必要だと感じることが出来ました。私は先生に教えられたことを大人になっても忘れず、それを生かせる仕事につきたいと考えています。

私は今とても幸せです。だから暗く悲しい過去も笑って話すことが出来ます。母がいつまでも私との約束を守ってくれるように、今度は私が母を支えていきたいと思っています。

それが私たちを救ってくださった先生への恩返しだと思うからです。


(敬称略・学年などは2017年2月18日時点)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


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  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

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