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第35回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

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第35回入賞作品

<一般の部> 入選

病気に対してだけでない医療行為とは〜29枚のハガキ〜

谷 芳夫(たに・よしお)(36)広島県

毎年、1通のハガキが夏の暑い盛りに届く。

7月25日。

姉の命日である。

姉は17歳のとき白血病で亡くなった。

当時の私は7歳であり、姉が亡くなったという事実をよく飲み込めていなかった。

ハガキの差出人は姉の担当医だったF先生。

姉は小学校4年生のときに白血病を発病して即入院したのだが、そのときから姉の担当だったという。

気さくな明るい性格。姉と同じように漫画が好きで入院中は漫画の貸し借りをよくしていたらしい。

同性ということも幸いしたのか人見知りだった姉もそれほど緊張感なくまるで友達のようにやり取りをしており、そのおかげかつらい治療もなんとか乗り切れていたようだ。

当時まだ研修医であり、その借りた漫画をいつ読んでいるのかは知らないが医師免許試験を一発で突破した優秀な人である。

姉は数か月通院を続け寛解状態になった。

通院は続けていたが弟の私から見ればそんなに病弱という感じはせず、家族皆、それなりに笑いが絶えないような幸せな生活が続いていたように思う。

しかし、姉が高校1年生の夏、再発が発覚してしまう。

姉は抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け、姉を一番かわいがっていた祖父は高価なカツラを買って着けてあげた。

当時の僕はあんなに可愛かった姉の髪の毛が抜けてしまったことに驚いた。

まだ幼かったので、両親からはなにも聞いていなかったのだ。

初めて受け持った患者である姉をF先生は明るく励まし続けた。

姉もF先生の明るい態度のおかげで笑顔になれることもあったらしい。

しかし、病魔はなすすべもなく姉を襲う。

抗がん剤も効かなくなった姉は、必死の頑張りもむなしく昭和63年7月25日、短い人生を終えた。17歳だった。

姉が亡くなって1年後、実家に1通のはがきが届く。

送り主にはF先生の名前。

こちらの近況を伺う2、3行の文章。

両親は先生の暖かい心遣いに励まされ感謝し、お礼のお手紙を綴った。多忙を極める仕事にも関わらず、そのハガキは次の年になっても、また届いた。

その次の年も、その次の年も。

そして現在に至るまで29年間欠かすことなくそのハガキは送られてきた。

――初めて受け持った患者だからそれだけ思い入れが深かったのだろう。

――姉に対する思い入れが深かったのだろう。

毎年送られてくるハガキの意味を、私は短絡的に捉えていた。

29年間の間に父は病気で亡くなり、一人となった母は、看病にかなり疲れた様だが何とか最後まで本当に頑張って乗り切った。

兄も私も結婚し、一人になった母にも欠かすことなくハガキは送られ続けてきた。

「姉ちゃんはこんなに思われて幸せだね」

私が20代の頃、母親にふとそう言うと、

「これはね、親のために送ってくださってるんじゃないかね。親にとっては嬉しいものなのよ」

という答えが母から返ってきた。

姉のために送られてきていたという私の考えは間違っていた。

何故なら姉はすでに亡くなっているからだ。

それも、もう29年も経つ。

私の姉に対する思いと、両親の姉に対する思いは全く種類が違うと私は思う。

私が《姉の弟である》という事実をあくまで客観的に考えてみても、だ。

親が子を亡くした思い……。

言葉では言い尽くせないほどの喪失感、悲しみ……。

F先生が29年間ハガキを送り続けてきた理由はその両親の思いを癒し、励ましたかったからなのだ。

医療とは病気に対してだけではなく子を亡くした親に対しても行われるものであること、そしてそれが如何に重要かと言うことを目の前で学んだ。

29年間送られ続けてきたハガキは母のハガキ入れの中に色褪せることなくファイリングされている。

30年目のファイルの空白が我が子を亡くした母の心を埋めるために佇むようにして待っている。

F先生、ありがとうございます。

私たち家族は本当に感謝しています。


(敬称略・学年などは2017年2月8日時点)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


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  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

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