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第35回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

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第35回入賞作品

<一般の部> 読売新聞社賞

献体―捧げるということ

織田桐 真理子(おだぎり まりこ)(57)鳥取県

「お父さん、確かに頂いてきましたよ」

そう言いながら私は、生前、主人が愛用していた古い文机の上に、1本の賞状筒をそっと置きました。

文机の上には主人が使い古した筆、文鎮とともに、主人の遺骨の一部が納められた小さな骨壺が置かれていました。骨壺は数日前、地元の大学の医学部から帰ってきたばかりでした。文机の真ん中には、コックの正装に身を包んだ主人の遺影が飾られ、賞状筒を置いた瞬間その遺影は嬉(うれ)しそうに、そして自慢げに笑ったような気がしました。

半年前、何の予兆もなく突然の腹痛から始まった主人の不調は、進行癌(がん)の末期で、手の施しようのない状態でした。

想像を絶する混乱と悲しみの家族の中で、宣告を受けた当の本人である主人だけは静かに受けとめ、在宅ケアという形をとりました。洋食屋のおやじでしたので、体調の良い日は厨房(ちゅうぼう)に立ち、病気前となんら変わらない日常を送り、自ら手配して親しい方々とのお別れ会もして、むしろ、私たち家族の方が主人に引っ張ってもらっているようでした。

そんなある日、

「俺、献体に申し込んできたから」

主人が、私たち家族に穏やかに言いました。

献体とは、死後、自己の身体を医学歯学の教育として行われる身体の正常な構造を明らかにするための解剖体として提供することです。意義のある行為、崇高な志とわかっていても遺体が帰らないというジレンマに、私たち家族は同意しかねていました。

けれど、主人の意思を尊重しようと決めたのは、主人の照れ笑いしながらボソッとつぶやいた次のような言葉でした。

「俺なあ、表彰状とか感謝状とかもらったことないだろ。死ぬまでに一度はそんなんもらいたいがな」

その3か月後の早朝、あらがうことなくその時を迎えた主人は、苦しむことなく静かに旅立って行きました。

看取(みと)っていただいた病院に、大学から主人のお迎えがきました。

主人は半生、洋食屋のコックでしたので、長女がコックコートを着せてあげました。

大学まで送ってくださる葬儀屋さんに、

「国道431号線沿いの洋食屋、ご存じですか。おやじの店なので、出来れば前を通って大学に行っていただけませんか。おやじが30年間守り続けた店なので最後にもう一度見せてやりたいのです」

と長男がお願いすると、葬儀屋さんは快く引き受けてくださいました。

担当医の先生、看護師さんの方々が主人に深々と一礼してくださり、厳かに見送ってくださいました。

そしてその数か月後、大学の講堂において、大学関係者各位、沢山(たくさん)の医学部の学生さんたち、そして、主人と同じように献体された方々のご遺族とともに、荘厳な合同慰霊祭が行われました。

医学部の学生さんが、身体を捧(ささ)げてくれた感謝と、将来立派な医師になる決意を述べておられる時には、祭壇の向こうから主人が、微笑みながらいとおしいようにその学生さんを見ているような気がしてなりませんでした。その合同慰霊祭で、亡き主人は1本の賞状筒を頂いたのです。

中には、文部科学大臣からの主人への感謝状が入っておりました。

文机の上に置かれた賞状筒をみて、自慢げに笑ったような主人の遺影に、私は思わず

「おめでとう。父さん」

と、笑顔で言っていました。

(風のようにいなくなりたい…)

そう言っていた貴方(あなた)。

本当にそうなりましたね。

でも父さん、貴方の風は、慰霊祭の時、貴方に献花してくださった沢山の医学生の若者たちの背中を押す、力強い風になりましたよ。

私たち家族は、貴方を誇りに思います。


(敬称略・学年などは2017年2月18日時点)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


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  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

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