読売新聞へようこそ■イベント

第34回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

トップページ > 第34回の受賞作品一覧

第34回入賞作品

<一般の部> 入選

看護師さんの閃(ひらめ)きに救われて

鍋島 美恵子(なべしま みえこ)(90)福岡県

昭和20年、日本の敗戦で、外地にいた日本人は皆日本に引き揚げねばならなくなった。T大を卒業後、当時朝鮮と呼ばれていた韓国の朝鮮総督府に勤め、農地改良と農業指導で朝鮮全土を22年間回った経験を持つ父は、今までに築いた総てを捨てての引き揚げにもしょげること無く、日本に帰ったら、戦時に着せられていた堅苦しい国民服を脱いで、野良着で土と暮らしたいと、さっぱりした顔で語っていた。

引き揚げ後、父は募集していた開拓地に家族4人と入ったが、その土地は戦前のゴルフ場で戦時には演習場になっていた所。酸性が強く作物が育たない。入植者皆のために石灰や肥料を求めて県庁、役場への陳情その他で駆け回り、その合間に大きな木の根や固くなった芝を掘り起こして、作物が元気に育つまでの二十数年は、父は足腰と胃腸の痛みでお医者様の往診を受けながら、毎日を薬漬けにしてしまっていた。

そんなある日大量の下血。トイレで意識朦朧となった父は緊急入院で輸血を続け、顔色が少し戻ったかと思ったとき、病院の院長先生に言われたのは「病院に有る血だけでは足りそうにない。手配はしているけれど、間に合うかどうか。血の提供ができる人を探してください」という言葉だった。

父の血液はO型。身内にO型は誰も居なかった。「O型の方、父を助けてください」と心では血の涙を流す思いで道行く人に叫んでいるのに、これが他人のためだったら、誰かれなく「助けてあげて」と大声で言えるのに、悔しいほど「父のために」とは声が出ない。

それでも、周囲の知人に状況を話して「どなたかO型の方は」と頼んだが、こんなときにはみつからないもの。頼んだ人が首を横に振っての言葉は、「医療のために血液を充分に用意することを考えないから」という国政への批判ばかりだった。

数日後、田舎の小さな医院の暗い部屋で、沈痛なお顔の院長先生に「このままでは朝まで保つかどうか」と命の尽きる時を告げられる言葉にも為す術が無く、親戚も駆けつけて父を見守るばかりでいるときだった。病室の片隅でベッドの父を見つめていた男性の看護師さんが言われた。「自衛隊に頼んでみたらどうでしょう」

そんなことが出来るはずはない。病室の皆がそう思った。こんな真夜中に「隊員の方の血をください」なんて、そんな非常識な電話に「はい。それでは」と返事されるはずがない。誰もうなずかなかった。しかしその人は電話をかけていた。「宿直の方が出られて『自分の一存では出来ないので』と言われた。後は待つばかりです」と言って、祈るような目で父を見つめておられた。

それから1時間もたたず、何と10人ほどのO型の隊員が駆けつけてくださったのだ。若い元気な血をいただいて父は蘇った。

後で聞いた話では、看護師さんの言葉を受けて、宿直の下士官は迷いに迷ったあげく、とにかく上官に「こんな夜中ですが」と電話して許可を取り、まさかのときは自分が責任を取ると覚悟して宿舎に行き、眠っている隊員に呼びかけてくださったとのことだった。

死んでも天命だと諦めるしかない70歳を過ぎた老人1人のために、実際にあり得るとは思えない自衛隊員の派遣がなされるまでになったのは、看護師さんの、人の命のためにと願う真摯で誠意のこもった言葉が、宿直の方を、放ってはおけないという気持ちに促す力になったのかも知れない。

看護師さんご自身にも真夜中の電話をひるむ気持ちがお有りだったのではと思う。1人の老人を救うための万が一の思い付き。大変なお願いなのだ。宿直の方の迷惑にはどんなにでも詫びようと決意しての電話だったと思う。そして一方では、夜中にこんな電話をかけてきた下士官を咎めることなく了解された上官がおられた。

その夜、自衛隊の方々の厚意に応えて、直ちに生血の点滴を行い、朝まで見守り続けてくださった院長先生と看護師さん。父は本当に人に恵まれた幸せ者だった。

退院の日、「良かった良かった」と病院の皆さんの笑顔に見送られて「ありがとう」を繰り返しながら涙ぐんでいた父を思い出す。

父はその後10年間生きて、四季それぞれの風情を楽しみ、その度に、この時間を与えてくださったのはあの病院で回復に尽くしてくださった方々のお陰と、いつも感謝しながら生涯を終えた。

医療とは、診察を受けて薬を飲んだり、手術を受けたりするだけのものではなく、患者やその家族を思いやる美しく尊い人の心が加わってこそ成るものだと教えられたあの夜は今も私の脳裏にしっかりと刻まれている。


(敬称略・学年などは2016年2月6日時点)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


[第34回受賞作品一覧へ]

  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

ヨミドクター