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第34回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

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第34回入賞作品

<一般の部> 読売新聞社賞

看護婦Eさんとの出会い

山田 幸夫(やまだ ゆきお)(69)兵庫県

私と妻、娘は耳が聞こえません。手話で会話をする「ろう者」です。

娘が小学4年生の時に激しい腹痛を訴え、妻と母が市民病院へ娘を連れて受診に行ったのですが、医者はろう者である妻へ説明はせず、健聴者の母の方へ口頭で説明しました。ひどい便秘から来る腹痛ですので浣腸をしてみましょう、盲腸の疑いも捨てきれないので念のため数日入院を、との事。診察後、待合室で母は妻にゆっくりとこう説明しました。「大丈夫、心配ない。少し入院する」。ただそれだけでした。妻は、会話の内容を全部知りたかった。大事な一人娘に何が起こっているのか。妻は母に遠慮してなかなか聞けずにいました。そんな時、たまたま近くを通りかかった看護師Eさんが妻の様子をいち早く察したのでしょう、妻のところへ近寄ってゆき、「もしかしてあなたはろう者ですか?」と手話で話しかけ、こう言いました。「私が医者の言葉を手話通訳しましょうか」と。妻は大変驚きましたが、「是非お願いします」と手話で答えました。Eさんはもう一度、医師の説明を妻へ手話通訳しました。妻は、手話通訳を通してようやく娘の症状について理解出来たのです。妻はどんなにか安堵したことでしょう。

Eさんは、M県からI市に引っ越しされ、ここで働いているとのことでした。それにEさんはご両親も私達と同じ「ろう者」であり、ろうのご両親を持つ「コーダ」だったのです。待合室で不安げな妻の様子を一目で見て「ろう者」だとピンときたそうでした。当時は「手話通訳派遣制度」がまだ実現されておらず、さらに医師や看護師達も「ろう者」に対する理解がまだそれ程なかった頃です。ろう者にとって病院とは、症状をうまく訴えられず、医師達の話もわからず、「大変行きにくい病院」だったのです。

妻をきっかけにEさんは院内手話サークル「たんぽぽ」を立ち上げました。一般の手話サークルと違って、看護師さん達が集まる院内の手話サークルでした。私も手話指導に関わりましたが、看護師さん達は夜勤などでなかなか集まらず、激務の疲れもあってか手話を覚えるのにも時間がかかりました。挨拶の手話から次第に、医療用語をどう手話表現したら、ろう者に伝わるか、看護師さん達と色々相談しながら進めていくまでになりました。医療事務の方も加わるようになり、少しずつ人数が増えてきました。そして地元のろうあ協会の行事にも参加するようになり、「ろう者」に対する理解が少しずつ広まりました。

そんなある日、妻が癌になり10年にわたる長期入院せざるを得なくなりましたが、「たんぽぽ」の皆さんのおかげで快適な入院生活を送れたと思います。ろう者に理解のある主治医と少し手話が出来る看護師さん達、そして話の内容をもれなく手話通訳で伝えるEさん。もうあの頃の不安げな妻ではありません。しっかりと自分の病状を手話通訳を通じて知り、抗がん剤のひどい副作用にも耐えました。今となっては、本当にEさんや「たんぽぽ」の皆さんのお陰だと思います。もし彼女らがいなければ、情報保障もない中で妻は治療を拒否したかもしれず。恵まれた環境の中、辛い治療にも耐えてこられたのだと今改めてそう思います。

そんな院内手話サークル「たんぽぽ」も早や30周年を迎え、ろう者に対する意識も向上してきました。例えばろうの患者さんが診察室に入ると、真っ先に医師はマスクを外します。口が見えないと、ろう者は安心できないのです。そんなろう者の心情をEさんはよく知っていて、年に何回か医者や看護師、事務員達を対象に勉強会を開催し伝えていったのです。Eさんの必死な取り組みの賜物です。

現在、市民病院には平日常在の院内専属手話通訳さんがいます。そして看護師さん達も簡単な手話で話すことが出来ます。噂を聞きつけた、ろう者がそこの病院なら安心と訪れるようになり、手話通訳は年間300を超えるそうです。

ろう患者さんが、安心して医療を受けられるようにする。それがEさんの願いでした。そんなEさんの願いは30年たった今でも着々と受け継がれています。

ろう患者にとって居心地のいい市民病院。私はそんな病院を誇りに思います。そして偶然、あの日、声をかけてくれた、Eさんに大変感謝の念でいっぱいです。これからも、ろう者の命を守り続け、ろう者に光を照らす病院であって欲しいと切に思います。

コーダ看護師Eさんに捧ぐ。


(敬称略・学年などは2016年2月6日時点)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


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  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

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