読売新聞へようこそ■イベント

第32回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

トップページ > 第32回の受賞作品一覧

第32回入賞作品

<一般の部> アフラック賞

温もりの聴診器

武藤ひとみ(むとうひとみ)(64)群馬県

「お母さん、アキちゃんはお母さんと私たちで、育てて行きましょうね」

小児科医のM先生の、この言葉は私の中で不思議な力となり脳性マヒと難病指定の血液の病気を持って生まれた二男を、強い心で育てて行く事が出来ました。

個人の産科医院で生まれた二男は、生後三日目に意識を失い、唯一受け入れの返事をして下さったK診療所に運ばれました。

重症黄疸で即、交換輸血となったのです。

産院に残っている私は急きょ母乳を止める事となったのですが、その私の耳に「一人の医師が血液不適合との検査結果が出る前に、母乳を止めてしまう事に強く反対している」との言葉が聞こえて来たのです。子供の事を心から考えてくれていると、まだ見ぬ医師に私は強い信頼感を抱きました。

そして同時に二男には障害が残るであろう事を、心の中で受け止めていました。

母乳を止める事に只一人、反対をした先生がM先生かは今でも解らない事なのですが、その後の先生の医師としての姿勢を見るにつけ、確信は強まるばかりなのです。

二男は、ひきつけては意識を失い、日に数度と呼吸さえも止まる難しい育児で、入退院の繰り返しでした。何度目かの入院の時、採血の注射針が生後数か月の二男には入らなく、数回刺されて大泣きです。ちょうど病室にいらした外科医師が困っている看護師に「足首を切開して、血管を引っ張り出してやろう」と事もなげに言いました。そこに、M先生が入って来られたのです。血だらけの腕をして泣いている二男を見て全てを察した先生は、お湯を入れた洗面器とタオルを看護師に持って来るように言いました。そして二男の腕を浸すと優しくマッサージを始めたのです。

二男は気持ちの良さと、大好きな先生の顔を見て満面の笑顔です。と、血管が浮き上がってきて、M先生の素早い採血。二男は笑顔のままで終わってしまいました。外科医師はそうっと病室を出て行かれました。

M先生の治療は、いつでも子供を守る心で一杯です。病気に対して甘い考えの母親を叱りつける声が、外来の診察室に響くのは常でした。そして全ての診察が終わると受付の窓口に一人で残り、沢山のカルテに目を通され小さな患者の、その後の病状や薬が終わる事などの心配をして電話をされているのです。

二男が入院中の時も、食事や休憩をいつ取られているのかと心配になる程に、日に何度と病室に来られて優しくあやしながら、視診をなさっているのでした。

冬の外来での診察では必ず聴診器を、手の平で温めてから胸にあてて下さいます。二男の後に感染症の子がいた時は、会計で待つ私たち親子の所まで自ら走って来られて、予防をして下さるのでした。信頼をして全てを委ねられる先生に私は無謀にも、ある投薬を止めたいとの意思を伝えた事があります。

この薬を飲むと腰砕け状態のようになり、更に異様な興奮状態になるのです。少し舐めてみると舌に非常に強い刺激もあり私は、この薬を飲ませたくないと願い出ました。

まだ26才の素人を相手に、怒る事もなく長い話し合いの時をもって下さり、投薬を止める事となりました。ほっとして会計を待つ私の所に小走りで走って来られ又も、その場で長い話し合いをした事は忘れられません。

更に私は痛みと怖さの検査や治療の時にこそ、子供には付いていてあげたいのですが、その心情も汲み取って下さり先生は、いつも処置室に入れて下さるのでした。

二男が七か月となった頃、障害が残りますかと、診察の後にさりげなく尋ねました。

瞬間に二人の看護師さんの動きが止まり、その驚きの表情で私は全てを悟りました。

診察室の空気が白くなったような静寂の中、M先生は静かな声で答えました。

「全ての症状が出揃わないと判りません」

気休めや誤魔化しのない、でも傷付けまいと断定を避ける、M先生らしい心配りの言葉を嬉しく思いながらも、私は無言のまま診察ベッド上の二男の服を着せ始めました。

その私の背中越しに先生は、冒頭の言葉を掛けて下さったのです。入院時も診察時もただ一人で来る私に、孤軍奮闘の育児と判っていられたのでしょう。

夫の転勤のため5才で先生から離れてしまいましたが、30年経った今でも私たち親子の中では、白衣をひるがえして颯爽と歩く先生の姿が心の中にあり、毎日の会話の中で自然と先生の事を話しております。

M先生、有難うございました。

心から感謝をしております。

そして、交換輸血の時に駆けつけて下さった交番のおまわりさん、たばこ店のおじさん、スタンドのお兄さんと、お会いした事もない沢山の方々の命を頂き、M先生には心をも救われ、感謝の中で生きております。


(敬称略・学年などは2014年3月現在)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


[第32回受賞作品一覧へ]

  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

ヨミドクター