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第26回 「心に残る医療」体験記コンクール 〜あなたの医療体験・介護体験を募集します〜

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第26回入賞作品

<一般の部> 厚生労働大臣賞

「めぐりあえて」

牛田 葵(14歳)愛知県東郷町・中学2年

この夏、私は地域で行われた心肺蘇生競技会に出場した。結果を残す事はできなかったが、気持ちはとてもすがすがしいものだった。この競技会に出場するきっかけは、私の場合ただ「やった事がないからやってみよう」という気持ちより、ずっとずっと強い思いからだった。

それは二年前の出来事にさかのぼる。二〇〇五年の六月一日。この日は私の父が、愛・地球博の会場で倒れた日だ。突然心室細動を起こし、心肺停止状態になった父は、たまたま居合わせた学生の方々に「AED」を使っていただいて救助された。

当時小学六年生だった私は、学校から帰宅直後、母から父の心臓が止まった事を聞いた。頭の中が真っ白になった。ただ、今までに感じた事のない恐怖を覚え、号泣するしかなかった。母は、私と弟を決して集中治療室に近づけず、倒れてから二週間程たって、やっと会わせてもらえた。うれしくて涙が出た事を今でも覚えている。二週間は私にとって長い日々で、学校でも家でも、いつも気持ちがもやもやしていた。母の深刻な顔や夜中の泣き声。普段何もする事ができない私でさえ、今自分がどうすればいいのか真剣に考えた。

その後、父は、体にICDという機器を埋め込む手術をする事になった。もちろん私は手術には賛成だったが、当日は何も手につかない程心配だった。手術が成功した事を聞いた時、やっと安心する事ができた。

無事退院した父は、講演会を通してAEDの普及活動に参加するようになった。そこで私達家族は、たくさんの医師や看護師、救急救命士の人々に出会う事になった。

私の中のイメージでは、医師は「病院」という狭い中だけで働いていて、声をかけるのもためらわれるような近寄り難い印象だった。ところが、父の講演会に行った時に、医師の方々や救急救命士の方々とも話をしてみたところ、私がイメージしていた近寄り難い印象は、ただ真剣に働いている顔であっただけで、実際は違っていた。万博会場で裏方の医療を支えていたのは、休みの日に「ボランティア」として働く医師や看護師、救急救命士の方達だった。よりよい方法は何かを常に追い求める姿だった。父を助けてくれたのは、私達家族を助けてくれたのはこの人達だった。決して楽ではない仕事の合間をみつけて、精力的にボランティア活動をする医師達の「パワー」と「熱意」に驚き、そして感動してしまった。私もAED普及に協力してみたくなった。そこで私は、今の自分にできる事を探し、父を助けてもらったお礼に「何かお手伝いしたい!」と思ったのだ。

そして今年の夏休み。学校行事である職場体験で、私は消防署を選んだ。少しでも何かを学び、AED普及に役立ちたかったからだ。

ここで心肺蘇生法を学び、競技会に出場する事にした。もちろん出場するからには練習も何回かした。救急救命士の方達は丁寧に何度も教えてくださった。私達の練習したいというお願いに、忙しい中、朝の七時三十分からでもくり返しくり返し教えてくれたのだ。私もその一生懸命さに応えるように熱心に取り組んだ。

でも、競技会で結果をだす事はできなかった。けれども医師や看護師、救急救命士の人達の「熱意」に、一歩近づけた気がした。それだけでも私はうれしかった。来年も挑戦したいと思うし、この体験で得た数々の事を、今後のいろいろな事にも生かしていけたらいいと思う。

父が倒れた事は、私達家族にとって試練だったが、医師達のあの「パワー」と「熱意」にめぐり合えてよかったと思う。きっと今日もどこかで、私のようにあの「熱意」に驚いて感動している人がいるだろう。


(敬称略・学年などは2008年1月現在)

  • (注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。


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  • 主催
  • 日本医師会
  • 読売新聞社
  • 後援
  •  厚生労働省
  • 協賛
  • 東京海上日動 東京海上日動あんしん生命

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