2002東京国際マラソン

東京国際マラソンの歴史
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第9回 1996年 2月12日/快晴 11℃ 湿度47% 東南東風0.1m

1996年 渡辺康幸(早大)のデビュー戦として大きな関心を集めたこの大会だが、レース当日の故障欠場で波乱の幕開けとなった。

 それまで3回マラソンを走って3度とも2時間8分台という実力者、ピント(ポルトガル)を軸にレースが展開したが、最後並走から残り100mで前に出たブラジルの新星・リマがピントを振り切って初優勝を遂げた。

 アトランタ五輪の代表選考レースとなった日本勢は、早田俊幸(鐘紡)が25kmまでひっぱりながら途中リタイア。4位につけていた川嶋伸次(旭化成)に対して、後方から猛烈に追い上げた実井謙二郎(日清食品)が32kmで日本人トップに立ち、以後前方の海外勢3人との差をどんどん縮めた。結局は日本人で5年ぶりとなる8分台の好タイムを挙げ、五輪代表の座を確実にした。
1996年

1997年

第10回 1998年 2月8日/快晴 8℃ 湿度69% 南南西風1.2m

1998年 96大会の優勝者V.リマ(ブラジル)、同3位入賞のA.フズダド(スペイン)らに日本勢がどう立ち向かうかが注目された。

 20km過ぎから飛び出したフズダドが、圧倒的な強さを見せ、そのままひとり旅でゴールテープを切った。2時間08分01秒はコースレコード(当時)。5位までを海外招待選手が占め、日本人トップの6位に初マラソンの国近友昭(NTT中国)。真内明、川嶋伸次(旭化成)ら日本ナショナルチームの主力は結果を出せなかった。
1998年

1999年

第11回 2000年 2月13日/快晴 10.4℃ 湿度32% 東北東風1.8m

2000年 20世紀最後の東京マラソンは、シドニー五輪の代表切符を賭け、凄まじい勝負が展開された。99年秋にベルリンマラソンで日本記録を13年振りに書き換えた犬伏孝行、ケニアの実力者J.コスゲイ、アトランタ五輪の銀メダリスト李鳳柱(韓国)、前回優勝者のA.フズダド(スペイン)に加え、小島忠幸、三木弘(旭化成)らが高速レースを繰り広げた。

 李鳳柱とのマッチレースの末にコスゲイが優勝(2時間7分15秒=大会記録)。4位に終わった犬伏ではあったが、日本勢トップの2時間8分16秒は、五輪代表“当確”に十分な内容であった。
2000年

2001年
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