2002東京国際マラソン

東京国際マラソンの歴史
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第6回 1990年 2月12日/快晴 16℃ 湿度48% 東南東風1m

1990年 前年のボストン・マラソン途中棄権以来レースから遠ざかっていた中山竹通(ダイエー)が、10か月ぶりの再起戦を優勝を飾った。中山は5km14分のハイスピードで飛ばし、30kmまでは世界最高を上回るペース。これについてこられるランナーはなく、終始中山の“一人旅”となった。しかし、35kmから極端にペースダウン。一時は800mもあった2位集団との差を120m差まで縮められたが、前半の貯金で逃げ切った。2位のトレーシー、3位のデンシモも、中山の前半ダッシュという“奇襲”に攪乱された形となった。

 福岡国際3位に続いて出場の小指徹(ダイエー)が4位に入り、新人賞には9位の武田裕明(NTT東京)と14位の本田竹春(日本電気HE)が選ばれた。
1990年

1991年

第7回 1992年 2月9日/快晴8.4℃ 湿度35% 北北東風1.7m

1992年 バルセロナ五輪の代表選考レースとして、国内の有力選手が顔をそろえた。前半、折り返しまでは20人ほどの集団で進んだが、31kmで優勝候補のデンシモが途中棄権すると日本勢9人によるサバイバルとなり、レースが動き出した。34kmで森下広一(旭化成)の揺さぶりにます、東京世界陸上5位の篠原太(神戸製鋼)が脱落。森下、中山竹通(ダイエー)、早田俊幸(鐘紡)の3人の争いに絞られた。中山が数回にわたってスパートをかけたが、森下が食い下がり、逆に最後の上り坂となる残り400mのところで、逆転。そのまま森下が優勝のテープを切ると同時に、バルセロナの切符を手中に収めた。

 また、一般参加の早田が初マラソンながら予想以上の力を発揮し、レースを大いに盛り上げた。なお、日本勢によるメダル独占は大会史上初。
1992年

1993年

第8回 1994年 2月13日/快晴 4℃ 湿度34% 東南東風1.4m

1994年 前夜からの大雪で開催が危ぶまれたが、関係機関の協力でなんとかスタートにこぎ着けた94年大会。沿道に雪の残る首都で高速レースが展開された。 レースは序盤から、期待の早田俊幸(鐘紡)が積極的に引っ張り、25km付近で一気にトップに踊り出た。これに反応したルソー(ベルギー)とモネゲッティ(豪)が追走。36kmからの上り坂でがくんとペースダウンした早田を、38.5kmで2人がとらえ、モネゲッティが東京国際としては6年ぶりとなる2時間8分台のタイムで優勝。モネゲッティにとっては90年のベルリン・マラソン以来、2度目の国際レース優勝だった。

 早田としては20km過ぎからの果敢な仕掛けが、結果的には「早過ぎた」ということになったが、積極的なレースメイクに評価が高まった。
1994年

1995年
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