2002東京国際マラソン

東京国際マラソンの歴史
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第3回 1984年 2月12日/曇り 4℃

1984年 “2位が定位置”と言われていたジュマ・イカンガー(タンザニア)が、初めて終始他の追随を許さずに走りきり、初優勝を飾った。レースは17kmで抜け出したイカンガーとデラパルテ(スペイン)の22km間にわたるデットヒートとなったが、レース経験とスピードに勝るイカンガーが39km過ぎでスパートし、決着をつけた。その爆発的なスピードは“タンザニア式ジェット走法”と評された。東独の中堅ランナー・ペーターが2位に滑り込んだ。日本勢では、川口孝志郎(中京高教員)が2時間12分4秒で9位に食い込んだのが最高だった。
1984年

1985年

第4回 1986年 2月9日/快晴 7℃ 湿度40% 南風1.9m

1986年 イカンガー(タンザニア)が自己最高のタイムで、“大会2連覇”を果たした。レースは6.5kmから飛び出したデンシモ(エチオピア)が20km地点までリード。優勝候補筆頭のカルロス・ロペス(ポルトガル)が18.5km付近で突然の足のけいれんを起こしてあえなくリタイアすると、中山(ダイエー)とアフリカ勢の4人が先頭集団を形勢した。残り3km地点でイカンガーがスパート。これを中山が追ったが、最後は逃げ切られ、さらにエチオピアの2人が力尽きた中山をとらえてアフリカ勢でメダルを独占した。

 かつては、強引にトップを突っ走り、先行逃げ切りを勝ちパターンとしてきたイカンガーだが、鮮やかな揺さぶりをかける“考える”レースを演じた。上位4人が8分台という高速レース。
1986年

1987年

第5回 1988年 2月4日/快晴6.4℃ 湿度37% 東北東風1.8m

1988年 上位4人がそのまま87年の世界ランキング2-5位に入る8分台の激烈なサバイバルレースを、アベベ・メコネン(エチオピア)が制した。

 25kmまでは14人の集団で進んだが、イカンガー(タンザニア)とキャステラ(豪)による仕掛け合いで36kmまでに日本勢は全員脱落。メコネンを含めた3人の争いとなった。39kmでメコネンが初めて前へ出ると、すかさずイカンガーが追ったが、残り1kmでの再度のスパートについてゆく余力はイカンガーになかった。

 ソウル五輪の代表選考レースとなったこの年は、「第3代表」を目指す谷口浩美(旭化成)に注目が集まったが、後半息切れ。仙内勇(ダイエー)の6位が最高だった。この年から設けられた新人賞には浦田春生(本田技研)と川越学(資生堂)が選ばれた。
1988年

1989年
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