2002東京国際マラソン

東京国際マラソンの歴史
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FLASH BACK
いろいろなドラマがあった東京国際マラソン。瀬古、森下、谷口これまでにも数々の名ランナーがこのレースを経験してきた。さらに、世界最高レベルが集うこの大会は、大きな記録も生まれている。東京国際マラソンの歴史をひもとくと、マラソンの新しい時代が見えてくるに違いない。

第1回 1981年 2月8日/晴れ 気温13℃ 湿度34% 微風

1981年 東京オリンピック以来、17年ぶりの首都でのマラソンとなった第1回大会。16か国32人の外国招待選手を含む82人が参加して行われた。
 最初の5kmの入りを16分20秒とスローペースで始まった序盤は、20人近くの集団で展開、30kmまでに11人に絞り込まれた。35kmの給水ポイントで列が乱れ、ジュマナザロフ(ソ連)、ネディ(エチオピア)、喜多秀樹(神戸製鋼)の3人勝負に。さらに、一旦後退したボッチ(伊)とスクーフス(ベルギー)が先頭集団に復帰、最後の難関、赤坂の上り坂では5人が見せ場を作った。
 国立競技場までもつれ込んだ終盤、マラソンゲートを最初にくぐったのはネディ、5m遅れて喜多、ボッチが続いた。ここから、スピードにまさる喜多が猛然とスパート、第一コーナーを曲がったところでネディに並ぶと、一気に抜き去り、そのまま歓喜のゴールを走り抜けた。
 気落ちしたネディはボッチにもかわされ3位。2位から12位までを外国勢が占めたが、初マラソンの新人・酒井勝充(小西六)が健闘の15分台、13位に入った。

1981年

1981年


第2回 1982年 1月31日/快晴 7.4℃ 湿度44% 南風1.8m

1982年 来日直前に故障したジュマナザロフ(モスクワ五輪3位)の代役で急きょ出場した新星シドロフ(ソ連)が、大会記録を1分31秒更新する好タイムで優勝した。

 33km付近までタンザニアのマソングが快ペースで飛ばしたが、35km過ぎからシドロフとジョーンズ(英)の2人が抜け出した。ゴール前600m、シドロフがスキをついてスパートをかけると、ぐいぐい引き離し、ソ連勢として日本国内で初めてとなるマラソン・タイトルをもたらした。

 連覇の期待がかった喜多は30kmを過ぎたところで後退、結局8位に終わったが、代わってマラソン2度目の中村が自己記録を7分も縮める快走で4位に入賞。一躍、トップアスリートの仲間入りを果たした。
1982年
1983年
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