ジョン・サルストン卿 履歴
 第1章 生命とは何か?
 第2章 私たちはどのようにして成長するか?
 第3章 私は何者か?
 第4章 治せるか?
 第5章 生命の未来は?
 用語集

第5章 生命の未来は?

私たちは、ゲノムに関する新しい知識によって、すべての生物の働きをその設計図(ゲノム)にそって根本的に理解できるようになりました。ここに至る過程で種々の遺伝子操作法を開発し、研究に利用してきましたが、それはとりもなおさず、私たちが自らの手で遺伝情報を書き換える手段を手に入れたことを意味します。責任は重大です。現在、地球上のあらゆる種は、何百万年にもわたる進化の産物で、この間、厳しい試練にさらされながら過酷な生存競争を勝ち抜いてきています。今や私たちは、私たち自身を含めた生物の進化の方向を変えられる力をもったのです。私たちはその力をいかに使うべきでしょうか?

“改良された”ヒト?
ヒトの生殖は運まかせです。生まれてくる人は、2億個の精子のうちのただ一つが、たまたま一つの卵子に受精したものです。多くの受精卵は子宮にうまく着床せず、流し去られてしまいます。約10組に1組の割合で、子供のできない夫婦がいます。しかし、ここ30年、体外受精(IVF)の技術によって、不妊の夫婦が、子を授かる確率は高くなりました。

同じ技術によって、親が自分の欲しいタイプの子供を選んで作ることを可能になります。男女の産み分けに利用することがすぐに思い浮かぶでしょうが、英国では赤ちゃんに筋ジストロフィーなどX染色体に関連する障害がある場合にのみ、そのような生殖技術の使用が許可されています。

また、幹細胞の研究を通して、損傷したヒトの組織を、イモリやトカゲなどでみられるように、うまく再生する方法が見つかるかもしれません。

身体を創る
私たちは臓器移植手術からさらに進んで、ヒトの身体を新たな方向へ遺伝子操作できるでしょうか?例えば飛ぶための羽や水中で呼吸するためのエラを持つようにできるでしょうか?

恐らく誰もそこまですることを望まないでしょう??私たちはハンググライダーや潜水具の類をすでに発明しており、私たち自身を変えなくても、空や海を探険することができます。おそらく遺伝的変化によってではなく、むしろ電子工学を利用して、私たちはヒトの適応能力をのばす可能性が大きいのです。耳の不自由な人が音を聞き、目の不自由な人が見ることができ、身体の不自由な人が感じたり走ったり、その補助をするために工夫された器具がすでにあります。昨年のクリスマス・レクチャーの講師をつとめたケビン・ウォーウィック教授はそうした技術の潜在的可能性について話しました。その技術と飛躍的に進歩しつつある遺伝子領域の知識が結びつけば、生命工学の新しい分野が開けるでしょう。おそらく私たちの未来は、一部はヒトで一部は機械というサイボーグ的なイメージになるのではないでしょうか。

新しい生命?
様々な種のゲノムがどのように働いて、その生物を作り上げ、動かしているかが分かれば、私たちはゼロから生命を設計することができるでしょうか?最も難しい部分は、遺伝子ではなく、私たちのつくった新たな遺伝プログラムが、機能する細胞を作ることかもしれません。生き物が、そのような細胞をどのようにして作るのか、私たちには分からないため、細胞を人工的に作れる見込みはほとんどありません。同様に、ジュラシック・パークのように、こはくに閉じ込められた昆虫の血液から恐竜のDNAを抽出し、生きている恐竜をつくることは、恐竜の卵(細胞の一種)がなければできません。(DNAはわずか数百年たてば、損傷がひどく再活性化できないので、実際には卵があっても不可能です。)

しかし、生き物を少し部分修正することはできます。遺伝子操作が考え出されるよりはるか以前に、品種改良によって、ヒトは植物や動物の進化の過程をコントロールするようになりました。まず初めに、昔の農夫は、もっとも実りがよさそうな穀物の種を選んで栽培し、最高の羊毛がとれ、乳が一番よくでる羊や牛を選んで繁殖させました。2?3千年たつうちに、家畜用動物や作物用植物は、その祖先である野性種とは非常に異なってきました。さらに近年になると、動物飼育者や植物栽培者は、自然界ではありえなかった交配による系統をつくり出しました。交配を利用して進化をさかのぼり、現在の動物は初期にはどのようであったかを明らかにする試みも行われています。

遺伝子操作−植物や動物に望む形質を与えるために、他の種の遺伝子を導入すること−はこの過程の最新段階です。DNAはいかなる種でも化学的には同じ物質であり、そのため一つの種から取り出したDNAの一部分を別の種に挿入し、そこでDNAを働き続けさせることができます。生命工学はそれを利用してきました。例えば、糖尿病患者にインスリンの安全かつ安定した供給をおこなうために、ヒトのインスリンの遺伝子をバクテリアに入れ、インスリンを作っています。植物に生分解プラスチック(生物によって分解されるプラスチック)を作らせたり、害虫や除草剤に強い作物を作るために、植物の遺伝子操作がおこなわれています。私たちは植物や動物の性質を変えるために遺伝子操作を利用すべきでしょうか?

遺伝子操作された動物は、血友病患者を治療する血液凝血因子のような貴重なヒトのタンパク質が乳に含まれていたり、移植用の臓器を提供してくれます。また植物の遺伝子操作は議論のあるところですが、農業をもっと効率的なものにし、値段の安い食べ物を供給し食料不足を補うことになるでしょう。

一般的には農業に適さない気候で作物が成育するように、その性質を変えることもできるかもしれません。害虫に強い性質を作物に付与すれば、殺虫剤をあまり使わずにすみ、環境のためにもなるでしょう。生分解プラスチックを作るように遺伝子が変化された新しい作物も環境のためになります。

しかしながら、多くの人は宗教や道徳にもとづき、遺伝子レベルで生き物を操作することに反対しています。操作された遺伝子が品種間で伝わり、“スーパー雑草”の出現など予期せぬ結果を招くのではないか、という心配もあります。そして食べ物の安全性の問題もあります。ラベルを貼って、心配な人は食べないようにすればいいのかもしれませんが、操作された遺伝子は危険なアレルギー反応を起こすもとになるのではないか、という議論もあります。最後に、遺伝子操作が長期間にわたって与える影響について、私たちはほとんど何も知らないということを忘れてはなりません。

生命の秘密と社会
私たちは自分自身を完全に理解できますか?ジャンボジェット機はどのようにして飛ぶのか、すべてを一人で理解している人はおそらくいないでしょう??しかし多くの人が、個々のシステムに関しては非常によく理解しています。それこそ、おそらく私たちが、ヒトの生命現象や遺伝に関して目指すべき方向です。

生命情報科学という新しい科学は、コンピューターを駆使し、ゲノムプロジェクトや他のプロジェクトで集められた膨大なデータを解析します。わたしたちはヒトゲノムについて、例えばそれをマウスや魚のゲノムと比較することにより、よりよく理解できるようになります。大きく異なる種の間でも保存されている遺伝子ほど、動物の生命活動に基本的かつ不可欠なものであることがわかるからです。

生命の神秘は、徐々に解き明かされています。その結果、私たちには大きな力が備わりつつありますが、大きな責任も生じています。想像力を最大限に働かせて、考えられるあらゆる問題について熟慮した上で、私たちが得た力(生命の人為的操作能力)の使い方については、社会全体で決めていかなければなりません。

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