ジョン・サルストン卿 履歴
 第1章 生命とは何か?
 第2章 私たちはどのようにして成長するか?
 第3章 私は何者か?
 第4章 治せるか?
 第5章 生命の未来は?
 用語集

第2章 私たちはどのようにして成長するか?

すべての生物のあらゆる細胞内には、生物をつくり機能させる指令暗号DNA(デオキシリボ核酸)があります。DNAは染色体に詰め込まれていて、染色体は私たちのような多細胞生物の場合、各細胞の核の中にあります。染色体の数は種によって異なりますが、通常は偶数です。これは、染色体は対をなしているからであり、各対の片方は母親から、もう一方は父親から来ています。ヒトには(赤血球、精子、卵子という特殊な細胞は別として)各細胞に46本(23対)の染色体があります。

たまねぎや虫あるいはヒトの細胞核からDNAを抽出すると、どれも同じように見えます。これらは半透明でねばりけのある糸のもつれたもののように見えます。DNA分子をさらに純化すると、非常に細く長くなります。私たちの細胞にあるDNAの長さは2メートルありますが、太さは極めて細く、原子数個分の幅しかありません。もしDNAが糸の太さだとすると、各細胞にあるDNAの長さは全長約200キロメートルにもなるでしょう。

でも一体、この細く長い分子はどのようにして、今ある私たちを作っているのでしょうか?

生命の暗号
DNAの構造は非常に単純です。それは異なるわずか4種類の構成単位からなる二本の鎖でできています。4つの構成単位は化学的性質から塩基と呼ばれ、それぞれの頭文字、A(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)、T(チミン)で表わされます。その構成単位がつながり一本の鎖になるときは、どのような順番でもいいのですが、二本の鎖の間ではちょうどはしごの段のような結び付きができて、Aは必ずTと、C はGと対をなします。このはしごは二重らせんになっています。
この構造のもつすばらしい点は、遺伝情報が含まれる二本の鎖を複製できることです。まず二本の鎖をはがし、一本鎖とします。この一本鎖がい型となって、特殊な酵素の働きにより、もう一方の鎖が作られていきます(例えばい型が---AACTGCの並びならば、先述の対を作る規則により、もう一方の鎖は---TTGACGという並びになります)。それを何度も繰り返せば、細胞や個体の複製が可能なのです。生命の基本条件である自己複製の秘密は、この単純な原理にあるのです。

それにしても、一体どのようにして、わずか4文字のアルファベット(塩基)を使って、私たちの身体を作る非常に複雑なマニュアルが書けるのでしょうか?

答えは、4文字の配列順序が暗号になっているからです。だれか二人のヒト、あるいはヒトとサル、または魚と木などの間の相異は、それぞれの細胞にふくまれるDNAの塩基配列(ACGTの並び方)の違いにあります。ACGTの並び方でマニュアルを書く方法は、情報を蓄積する観点から極めて経済的な方法といえます。なぜならばコンピューターやCDに入っている情報のようにデジタルだからです。遺伝情報のことを設計図に例えて“遺伝的青写真”ということがありますが、これは誤解を招きやすい表現です−青写真はアナログ画像ですから貯蔵に多くのスペースが必要ですし、それを読み取る知性も必要です。コンピューターが実際にはプログラムを理解しなくても稼働していることを思い出してください。細胞も同様にDNAに書きこまれたデジタル情報に従い、自分自身を作り上げ、必要な仕事をしているのです。

細胞とコンピューターとの違いは、細胞はプログラムを実行するとともに、マニュアルを解読して細胞に必要な構成要素すなわちタンパク質を製造できる点にあります。タンパク質は生体の機能のほとんどを担っている分子です。食後、身体にエネルギーをたくわえるように伝えるインスリンなどは、ホルモンと呼ばれる情報伝達物質です。ペプシンなどは酵素であり、食べ物の消化を助けます。髪の毛やツメにあるケラチンあるいは、皮膚や骨にあるコラーゲンは身体の組織を作ります。中にはヘモグロビンのように、赤血球中にあって酸素を運ぶような特殊な仕事をするものもあります。タンパク質は数え切れないほどあり、各々は遺伝子に暗号化されているマニュアルに従い作られます。

ジェイムズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの構造を発見してから約10年後、科学者はDNAに書かれた情報に従い、タンパク質を作る法則(翻訳)を発見しました。タンパク質はアミノ酸と呼ばれる小さな分子をつなげた鎖です。アミノ酸はわずか20種類しかありませんが、ちょうど私たちがアルファベットの26文字を使ってたくさんの単語をつくることができるように、20種類のアミノ酸から私たちに必要なすべてのタンパク質を作ることができます。それぞれのアミノ酸は3文字のDNAコード(ACGTのうちの3つの組合せ)によって暗号化されています。
4文字から選ぶと、実に64(4×4×4=64)通りの3文字の組み合わせが可能であり、それだけあればいくつかのアミノ酸には二つ以上のコードを割り当てることもでき、かつ翻訳の開始点や終了点を指定することもできます。

配列の解読
私たちの身体の働きを分子レベルで根本的に理解するためには、DNAの文字の配列順序(ACGTの並び方、すなわち塩基配列)を解読しなければなりません。
そのために数百人の科学者からなる国際チームが編成され、巨額の資金を使ってヒトゲノムの構造がほぼ解明されました。これがヒトゲノムプロジェクトです。科学者たちは2003年までに不備を補い、読み違いを直す予定です。

DNAの分子はとても長く非常に扱いにくいので、短く切って扱いやすい断片にしなければなりません。最新の生物化学的方法を用いると、それぞれの断片をバクテリアに挿入することができます。バクテリアの分裂と増殖にともない、ヒトのDNAの断片も繰り返し複製されますので、配列決定に必要な量が簡単に入手できます。この過程はクローニングと呼ばれ、元のものと全く同じ複製を大量に作るときに使われます。

生物化学者フレッド・サンガーは1977年に初めて全ゲノム−約5000個のDNA文字をもった微小ウィルスのゲノム−の解読に成功しました。現在世界中の大きな研究所では、30億文字からなるヒトゲノムの配列解析が急ピッチで進んでいます。そこでは当時に比べて各段に高速化した配列決定装置が多数使われていますが配列決定法の原理は今も変りません。高性能のコンピューターを駆使し、クローン(複製)されたDNA断片どうしの末端部の配列の重なりを手掛かりに、断片を正しい順序でつなぎ合わせていき、最終的に全ゲノム配列を解読します。このようにして、ヒトゲノムプロジェクトは2000年6月にヒトのDNAの配列構造(全塩基配列)をほぼ解明することに成功しました。その結果、塩基数にして30億字もの配列は明らかになりましたが、それの意味を理解することに関しては、まだ始まったばかりです。

遺伝子さがし
ゲノム解読の主な目的の一つは遺伝子の特定です。遺伝子はタンパク質をつくる指令暗号を含むDNA配列です。しかし驚いたことに、ヒトゲノムのうち、遺伝子の占める割合は全DNAの2%以下です。残りの部分は、しばしば“ジャンク”DNAと呼ばれており、誤解されやすいのですが、私たちの進化を記録する遺伝子の化石のような部分や遺伝子の活動を左右する重要なコントロール役として働く部分から成り立っています。さらに、遺伝子はしばしば暗号ではない配列(イントロン)によって分断されており、話を複雑にしています。
しかし初期の概算ではおそらく約3万個から4万個の遺伝子がヒトゲノムにはあるとみられています。

あらゆる細胞(赤血球を除く)にはすべての遺伝子がありますが、必ずしもそれらすべてがONになるわけではありません。遺伝子がONになる(遺伝子発現)しくみを理解することは、生物学が直面する大きな課題のひとつです。なぜならその過程にこそ私たちの身体がどのようにして作られていくかという秘密が隠されているからです。
遺伝指令は出発点であり、タンパク質の合成を指示し、またある時はそのようにして作ったタンパク質を介して他の遺伝子の働きを左右します。ひとたびタンパク質が合成されると、それらは自己集合し、私たちの体を作り上げていきます。タンパク質内のアミノ酸の配列順序がタンパク質立体構造(二重らせん構造)を決定します。その構造によってタンパク質は他のどの分子と相互作用し合うのかが決まります。一方、細胞は、分裂し、成長し、移動し、そして血液や骨や脳で働く特殊な細胞に分化していくとき、他の細胞から受ける信号に反応して調和が図られます。単なる偶然に思うかもしれませんが、そうではありません。同じしくみが何十億年にもわたり質をたもちながら生物を生み出しているのです。

そのしくみを解くカギになる遺伝学的発見の多くは、ヒトやマウスの研究からではなく、ハエの観察によってなされました。主要な発見のひとつは、ごく少数の遺伝子群がハエの体節を決定し、どこに頭、胴、足などを作るかを決めていることが明らかになったことです。そして驚くべきことに、本質的に同じ遺伝子が、ヒトを含めたより複雑な動物にも存在し、似た仕事をしていることが分かってきました。さらに体を作り上げる指揮系統をたどっていくと、別の遺伝子群があり、それが例えば「胴に羽を生やすか」「ヒレをつけるか」あるいは「腕をつけるか」を決めています。この段階では、羽・ヒレ・腕の例から分かるように、同じ遺伝子でも動物の種類によって、働きが少し違うことになります。

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